「今日,僕が何もしていないのに,○○さんにたたかれた」と自分の子どもが言う。あなたは信じますか。
「たたいたり蹴ったりして相手をやっつける戦闘ゲームをやっても僕は大丈夫だから,ずっとやらせて」と自分の子どもが言う。あなたは信じますか(「大丈夫だからやらせて」と言われたら,大丈夫なんだと思いますか)。
「わたし,昨日買ったかわいいシールを学校に持っていって友達に見せるんだ」と自分の子どもが言う。子どもの自主性を尊重して好きなようにさせてあげますか。

 子どもの言うことを信じ,子どもの意思を尊重して言った通りにさせてあげることで,親は,「自分は子どもを大切にしている」と自己満足をする。そして,自分は教育についてベテランだと思い込み,他の親に学校や教師への不適切な批判を広げ,学校に文句の電話をかけてくる。教師から見て,「大変な子どもの親は,もっと大変だ」「子ども教育は,親教育だ(親がまともだと,子どももまともに育つという意味)」という言葉に間違いはない。子どもを信じる,信じないの問題ではない。あえていうなら,教育前のまだ未熟な子どもを信じることは間違いである(わけもわからないのに,身にも付いていないのに,親の受け売り言葉を発することはあるだろうが)。「何もわからない犬の行動を信じないと,その犬を大切にしていないことになる」とはならないだろう。能力,性質の問題である。
 子どもはまだ未熟で,知識も経験も少ない。だから,当然適切な行動や他人に迷惑をかけない行動ができないし,自分を守るためにウソを平気でつく。わがままを通すためにはどうにでも言う。本能だけはあるので,基本的には他の動物のように行動する。そこから,大人の力で一人前の「人間」にしていくのが教育である。有害なものから子どもを守ってやるのが大人の責任である。まだ未熟な子どもの言い分など,教育上関係ない。