以前批判されていた日本の漫画(日本では大人がマンガを読んでいると世界からからかわれていた)やお刺身などの日本食等,後になって世界から称賛されるようになってきた。そのようなものは,他にも結構ある。
 いま日本での体罰や暴力が問題になり,世界中にそのことが配信されている。外国の人々は,日本ではバイオレンス(乱暴・エゴ的暴力)で子どもを育てたりスポーツ選手を育てたりしていると思い込み,日本を批判している。もちろんその指摘は不正確であり,不適切である。
 日本の学校教育や家庭でしつけや教育のために子どもをたたいたり厳しく注意をしたり,あるいはスポーツの指導で厳しくしたりするのは,武士道から始まった日本独特の道徳感に基づくものではないだろうか。自己の勝手な思いを達成するためだけに善良な相手を痛めつけたり,けがをさせるくらい叩いたりするという意味での本当の「暴力」や「体罰」と,日本の学校やスポーツ指導における目的をもった愛情のあるたたきやしつけ,厳しい言葉などは,正反対のものではないだろうか。
 この日本独特のすばらしい「教育方法」が今問題になってしまっている原因は,我慢のできないわがままで反抗的な新人類(20代までの桑田氏も含む)のある一人が,進学に悩んで発作的に自殺という行動に出てしまったからである。これまで100年以上にわたり,学校でも家庭でも教育のために教師や親がかわいい子どもをたたき,立派にしつけてきた。子どもたちはそんな厳しくて優しい親が大好きであったし,親たちも子どもを本当にかわいがっていた。
 今度,マンガの「巨人の星」が,インドでリメークされて放送されるという。いつの日か,世界中の人や日本の一部のエセ教育評論家(尾木ママなど)がいう単なる「暴力」と,古来から続く道徳の精神に基づいた日本独特の教育方法である「愛情あるしつけ」(怪我をしない程度のたたきや注意で,もちろん教育だから後にきちんとフォローもしてやる)が全く異なるものであることに気付き,日本の教育方法に世界が注目をする時がきっと来ることを信じている。
 
 にわか評論家たちは,「子どもが口の中を切ったからたたくことはよくない」などと極論を持ち出して教育上たたくことをすべて否定するという論法で,自己の偏った願望を正当化しようとしている。もちろん怪我をするくらい叩くのはよくない。それに,指導をするほうが力が入りすぎて少し怪我をさせてしまうことはあるだろうが,それは間違ってやってしまったことなのできちんとあやまって「でも,おまえが悪いんだぞ。がんばれ。」の言葉で済ます話だ。連綿と続いてきた日本独特の愛に満ちた「時には厳しい教育」(それが感じられないように育ってしまった今流行りの子どもへの再教育は必要)をなくする,なくさないといった大げさな話に結び付ける必要もないし,論理的にも飛躍しすぎていて,不自然であるし他意さえ感じてしまう。