今回の体罰問題における結論はあまりにも短絡的すぎる。評論家やマスコミは結果ありきで、教育の実態や本質を無視して学校や教師の攻撃に徹している。学校教育という題材は、内情を知らない人でも適当なことは言えるし、批判すれば世間から賛成してもらえる(仕事が増える、視聴率が上がる)という性質があることが理由であろう。しかし、このままの勢いで日本での体罰に対する結果を出すと,単なる茶番劇で終わってしまう可能性もある。教育についてもっとまじめに考えてほしい。

 カナダでは学校における体罰は法的に認められている。もちろん怪我をさせる体罰は認めていない。これは当然のことであって論外なのであるが、しかし日本の反対論者たちは「怪我をさせるから駄目だ」と極論を持ち出して否定する。また、「心に傷をつけるから認められない」ともいう。それは教師と子供の関係の問題であり、体罰をどうするかではなく信頼関係をどうやって築くかという問題の話である。教育先進国であるカナダの教育は間違っていると言い切れるのか,もう一度自問自答してもらいたい。私には、体罰反対論の根拠が、意図的な論点のすり替えのように見えて仕方がないのである。

「体罰」(=罰を与えるために身体的苦痛を与えること)は,「暴力」(=「不当」に使う腕力、「怪我」をさせる力)とは異なる。体罰は,信頼関係のもと、正当な理由があり,その子をよくしたいという愛情によって必要以上の強い力を使わないで行う指導である。もちろん、口で分かる場合は、それを否定するものではない。その子にあった指導法が理想であろう。

「たたくときに力を入れないようにしても,つい強くなってけがをさせるのではないか」、という主張もたまに聞くが,それは別の問題である。ビルから飛び降り自殺をする人がいたら,そのビルを建てた人が悪いとならないだろう。あくまでも個人の問題である。怪我をさせたり,腹いせや怒りで強くたたいたり蹴ったりする教師がいたとしたら,そのような教師に対しては校長が指導をしたり、あるいは法的に裁かれたりしなければいけない。当然の話である。

 短絡的、感覚的に「体罰は悪い」,「体罰は怪我をさせる」,「体罰=暴力だ」などということは、改めたほうがよいと思う。家庭や学校での「体罰」については、結論無しの状態で、冷静な議論を期待したい。