自称スポーツライターの玉木正之氏は,最近の体罰問題について繰り返し持論を展開している。いつも話していることは,教員やスポーツの指導者が体罰を行うことはおかしい,なぜ子どもやスポーツで指導される人が罰を受けるのか,暴力は絶対によくない,ということだ。どうやら「体罰」の「罰」や「暴力」という言葉にこだわっているようだ。
 
 理由や状況,たたき方やたたく強さを無視して「たたくことはすべて悪いこと」と短絡的に言ったり,暴力団が何の落ち度もない人をたたくことと教師やスポーツ指導者が教育的にたたくことを「暴力」という同じ1つの言葉で表現したりすることは,一般意味論からみて正しくない。子どもを教育上たたいたり,スポーツで指導者が指導を受ける人を励ます意味でたたいたりすることは教育的に悪いことではなく(法的には悪い),「体罰」とは,「教育」や「指導」,「愛情」という意味である。このような文言にすれば誰もが肯定的に受け入れられるのではないだろうか。

 玉木氏の持論は,単なる言葉遊びであると言わざるを得ない。もし言葉遊びではなく本当に教員や親が子どもをたたくことがいけないと思っているなら,「言葉」にこだわるのではなく教育的な内容で納得できる論理を展開してもらいたい。ちなみにこの玉木氏も子どものころに親からたたかれたことがあると話していた。すべての子どもは親から1度はたたかれたことがあるだろう。そしてそれに対し感謝しているはずだ。みんな無理をすることはない。思っている教育論を話せばよい。法律などに遠慮することはない。おかしな法律は改正して,納得できる社会をつくっていけばよいのである。法は人がつくったものであり,絶対のものではない。
 今回の体罰問題については,法から出発することなく,本末転倒とならないように慎重に議論をしていく必要がある。単なる魔女狩りで終わらせてはいけない重要な問題だ。