どこかの高校のバスケットクラブの教員が体罰をおこなったために,たたかれていたキャプテンが自殺した。この教員が来てから,この高校のバスケット部は強くなったという。
この問題について,小・中とケツバット(お尻をバットでたたくこと)をされながら練習をしてきた元巨人軍選手の桑田真澄氏は「体罰では強くならない」とニュースで話していたが,桑田氏は自らも体罰を受け,その結果の今がある。体罰のよさを身をもって証明しているではないか。はたして彼が体罰なしでも他人より努力をしつづけ,最終的に当時のプロ野球最高レベルのジャイアンツに入団することができたか疑わしいものである。
「学校教育において体罰はよくない」という主張は,客観的・普遍的正当性があるわけではない。日本では法にひっかかるからよくないという話である。しかしそれについて教育評論家などがテレビに出てきて「教育的によくない」という話にすり替え,その一方の主張のみをマスコミが繰り返し流すということは,筋論からいって疑問を感じる。少なくともカナダでは現在体罰は法的にも問題がない(もちろん傷をつけたり後遺症を残したりといった刑法に触れる体罰は禁じられている)。
マスコミは,これまでも「体罰はよくない」「体罰をした教師,逮捕!」といったことばかり報道してきたのだから,自殺をしたキャプテンも「自分はひどいことをされているんだな」と考えるようになるのは当然である。マスコミの報道次第では,「先生はたたいてくれて,僕を応援しているんだな」「よし,がんばるぞ」と思うようなキャプテンにもなったはずだ。アニメの「巨人の星」でも繰り返し放送していたら体罰のありがたみ,感謝を感じるようにもなったであろう。マスコミが今回の事件の最大の加害者であるという見方もできる。
昔日本にいた,すぐにげんこつをする頑固おやじは,本当に良くなかったのか。自分の子どもや近所の子どもたちから嫌われていたのか。わがままな不良少年や我慢のできないニートなどを大量に生み出したのは,頑固おやじや本当の愛がある教師を否定して消し去ったマスコミや教育評論家,モンスターペアレントたちが原因であることを関係者は認識してもらいたい。
体罰をしたこの教員について,今後数週間ほどマスコミでは盛り上げて視聴率を稼いでいこうとするのだろうが,(日本の法律に照らした)法的な議論をするのか,子育て論を議論をするのか,そこをきちんと分けてやってもらいたいものである。
さらに言うなら,スポーツや勉強において発奮させる意味あいでの体罰以外にも体罰は必要である。それはマイナス面を改善する「指導」という役割である。例えば家を飛び出し,高校を中退して,警察沙汰になる不良がいる。そのような子どもは親に一度もたたかれずに大きくなった,つまりわがままを通し続けて大きくなった子どもである。実は,中・高の不良たちは,親や教師に本気で殴ってもらって,自分自身では止められなくなって困っていたわがままな気持ちや悪い気持ち(嘘やずる,万引きをしようと思う気持ちなど)を吹っ飛ばしてもらいたかったのではないだろうか。
子どもは目標とする人物がいないと不良になるという。普段は笑顔でおおらかだが悪いことをした時にはぶん殴ってくれるような昔気質の頑固おやじ,頑固教師が,子どもたちは大好きなのだと思う。
桑田氏が書いた論文について,新聞に詳しく載っていた。それによると,プロ野球選手と東京六大学野球部員の550人にとったアンケートによると,「体罰は必要」「ときとして必要」と回答した人の割合が83%であったそうだ。結論は出ている。議論はもういいだろう。あとは,体罰(カナダと同じように,けがをさせられたり後遺症を負わせるような体罰は除く)をされて,それをマイナスに考えてしまうような子どもに育てないよう,誤った情報を親やマスコミが子どもたちに流すことをやめればよい。
話が少し脱線するが,桑田氏は論文で「体罰で強くならない」と結論付けているが,調査結果や実験結果を無視して単に自分の思いや願い,恨みつらみなどを結論に持ってくるようなものは学術論文ではない。だからネームバリューで大学(院)に入れてはいけないのである。学術論文は,その辺の雑誌に載せる手記とは違う。早稲田大学は野球選手や広末氏などの有名人を受験生集めのために入学させたりする大学であるが,欲に飛びつかず自らの使命をもっと深く自覚したほうがよい。
<追記2>
大阪市長の橋下氏は,体罰問題で,教員や学校や教育委員会や市長や…などが100%悪いと断じていた。橋下氏のいう「悪い」とは,法的な意味か教育的な意味かは分からない。しかし,テレビでは(体罰反対の立場のみの)教育関係者が次々に登場して,たいした根拠もなく自分の結論(信念や願望)を国民に伝えて洗脳をおこなっている。このまま「体罰=教育的に悪い」となってしまうのだろうか。数十年前に念仏のように唱えられていた「個性尊重」と「自己実現」の名のもとに,学校ではどのような子どもも認めて好き勝手にさせる教育がおこなわれ,それによってわがままなことを堂々と主張する若者を大量に生み出してしまった苦い経験がある。その子どもたちが今の親たちであり,モンスターペアレントとなっている。現在マスコミで中心的に働いている人々も,世代的にこの失敗教育を受けてきた人々なのかもしれない。
橋下氏のいる大阪では,教員が3人で授業をおこなったり(逃げたら追いかけたり,教師に向かってきたら制止させるため),窓がすぐ割られるのでお金がかからないプラスチックになっている所もあるそうだ。20年程前には本物のピストルを持って小学生が学校に来たという。教師が体罰で他の子どもや自分を守ったりできるレベルではない。だから,すべてを一緒くたにして短絡的に,「教育的にも体罰は絶対ダメ」などと無責任に言うものではない。
<追記3>
桑田氏語録が次々と記事となり,マスコミも頑張ってそれを流し続けている。一方的な風潮に,私は断固反対する。少し検証してみたい。以下のかぎ括弧内は桑田氏の発言である。
「体罰の背景は指導者の勝利至上主義である」→スポーツに取り組んでいる学生で,勝利を第一目標にしていない人がいるのだろうか。それは間違ったことなのだろうか。県大会や全国大会のようなものはないほうがよいのか。
「よく体罰は愛情だと言いますが,僕は愛情だと感じることはなかった」→中高年の人なら知っていると思うが,桑田氏はジャイアンツに入団後,ある時期まで人間として基本的な問題があり,まともになるための本を球団から進められた人物でもある。傲慢でわがままで攻撃的だった人物の感じ方など,むしろひねくれたものであったととらえたほうが自然である。また,「体罰に愛はない」ともいわれるが,体罰に愛がないのではなく体罰に愛を感じられない未成熟な者や自己中の者がいるということである。口で指導してもこうなったのだから体罰をしてでも正しい方向に育ててあげなければいけない。「悪いことをしたり怠けたり努力をおこたったりした時には厳しく指導し,少しでもできたらほめる」は生徒指導の基本である。
「僕は体罰には反対です」「時代に合わせてビデオを使うなどの指導法に変わっていかなくてはならない」→体罰に反対の理由はなんであろう。個人の思いではなく,アンケートや比較調査の結果のような根拠がほしい。また「時代に合わせる」とは,「今のひねくれた精神的に弱い子どもたちに合わせたほうがよい」とか「映像技術が発達したから使ったほうがよい」という意味だろうか。もしそうであれば本末転倒はよくないし,視聴覚機器を使うとひたすら素振りをしてきた王選手や長嶋選手,松井選手を超える選手になれるとでもいうのか。ビデオなどはすでに数十年前から使われている。
「勇気を持って今の時代にあった指導法を実践する指導者が1人でも多く出てきてもらいたい」→意味が分からない。誰が勇気がないということなのだろう。修士号を持つ研究者が感想とは…。
桑田氏はもういいから,マスコミよ,もっとしっかりしろ!
体罰をしていた教員が,授業中に危険度の高い組体操の練習中に,悪ふざけを繰り返していた子どもの顔を平手打ちしたり、引き倒したりする体罰をしていたことがわかった。口で言ってやめなければ,教員は力づくでも子どもの命を守らなければならない。口で言ってもわからない子どもたちにもいろいろなことを教えて育てていくのである。ちなみにこの生徒は自分が悪かったと言っているとのことだ。
世間の皆さんもマスコミの人々も,高いところからまったくクッションのない地面に頭や首から落ちたらどうなるかわかるだろう。この教員は,この子が車椅子人生になることを防いでくれた。親は感謝し,学校はこの教員を表彰をしてやってもらいたい。
<追記5>
自殺したキャプテンは親に対し,この教員から30~40発平手打ちされたと話したという。しかしこのキャプテンがけがをしたという情報は全くないし,親もインタビューでけがについて話していない。すでに報道機関のニュースや行政の長である橋下氏は「30~40発」ということを事実のこととしてしているが,平手でこれほどたたいてけががないというのはおかしい。当事者である教員は手を広げ指の部分でたたいたと話している。強さや回数はわからない。
マスコミや世間の人々,橋下市長は,平手で強く30~40発たたいたと思っているので,不確実なことを断言する報道は今すぐ中止し,被害者側の主張のみを鵜呑みにすることなく,まずは事実関係を正確に把握し,感情を挟まず客観的議論をするべきである。遊びではないのだから。
<追記5>
これまで,親から1度もたたかれたこと(体罰?)がないという人がいるのだろうか。たたかれたから,あなたは親が間違っていた,嫌いだと思うのだろうか。感謝と尊敬の気持ちでいっぱいなはずである。
しかし,たたかれたことで親を嫌になったという人もわずかにいるだろう。それは親の育て方に問題があったのである。マナーなどの生活上の基本や,感謝の気持ち,思いやりの心などの道徳心を育ててこなかったのである。普通に育てられてきた子どもであれば,親や教師からたたかれたら反省するか,頑張ろうと思うのが普通であろう。親や教師に対して逆切れなど本来であればとんでもないことで,それは負の産物である。幼少時における家庭での教育力向上が重要課題だ。
<追記6>
例えば,小学生が掃除をさぼっていて,担任が「まじめにやらないと,あとで一人で掃除をしてもらいます」と言ったとする。それによってその子がその夜に自殺をしたら,この教師は悪いことになるのだろうか。
授業中,消しゴムで遊び続けている小学生がいたとする。そこで担任が消しゴムを一時預かり,帰り際に返したとする。しかしその子はそのことに悩んで自殺をしたとしたら,この教師は悪いことになるのだろうか。