昨年の東日本大震災が起きた際,テレビで伝えられた津波の予想の高さを調べてみたら,大船渡や宮古,気仙沼など,宮城や岩手の海岸はどこも4メートル前後であった。これを見た人々は高台に逃げることはしないだろう。2,3階以上にあがれば大丈夫と判断したはずだ。私がそこにいても,離れた高台や山にわざわざ逃げなかったと思う。ところが実際に来た津波は高い所で20メートルを超えた。少なくとも数千人は,この高波情報の4メートルを見るなり聞くなりして行動をし,波にのまれただろう。津波で非常に多くの人々が亡くなったのは人災である。
 福島第一原発の放射能が東日本の土地や農産物,魚介類をダメにしたのは,数年前におこなわれていた専門家会議において,堤防を高くする必要性を無視した結果引き起こされたものである。放射能拡散も人災である。
 確かに今回の地震と津波の自然災害は強大なものだったが,はるかに小規模の被害にとどめることができたはずだ。人災は,該当者を処分する必要があると思う。たとえ人を殺した,あるいは膨大な被害を与えた行動が,わざとであろうとなかろうと,そんなことは結果に関係はない。数千人をデマ(高波情報の誤報)によって殺し,東日本の土地や人々の生活を自己の利益(福島第一原発の堤防を高くするにはかなりのお金が必要だったため,適当な理由をつけて工事が見送られた)のために破壊した人が,何の罪にも問われず,何事もなかったかのように生きている。これなら,これからもこの日本では安心して適当なことや悪いことをしていけるとお役人たちや政治家,企業は思ってしまうことだろう。原子力保安院が無くなってしまっても,名前を変えるとこれまできちんと管理してこなかった罪は帳消しになる。国民年金がなくなってしまっても団体名を変えると,その罪は帳消しになる。名前が変わったところで働く人々は同じ人々だ。こんなことがあって,本当にいいのだろうか。