追悼式において野田総理が,ふるさと再生、教訓の伝承、助け合いの心を忘れないという3つを御霊に誓うと表明した。
 3つとも国民は切に願い,できる所から実行に移している。しかし国民の一番の懸念は,この3つを政治家が行うかどうかである。政治家が御霊に話すのは自由だが,はたして誓いを果たす気持ちが本当にあるかどうかが非常に疑わしい。
 まず1つ目であるが,ふるさと再生は政治家自らの無能さもあって1年がたってもがれきの処理がほとんど進んでいない。2つ目は,ストレステストを早々に終わらせ原発再起動に最大の努力を払っている政治家たちが,原発事故の教訓を伝承など笑い話にもならない。3つ目は傍観者的政治家に言われるまでもなく市民は助け合って何とか政治家の尻をたたき続けているので心配無用な話だ。
 原発を推進し,利益追究ゆえに事故への備えを意図的に放棄し(原発周辺の堤防を高くすることを阻止したり活断層の存在を否定したりしてきたことなど),東日本をダメにし,放射能を国民に浴びさせ,未だに食品から放射能を国民に与え続け,除染などの原発事故処理にも積極的に手をつけず,できたことは御霊にとんちんかんなことを言うだけ。愚かで無能な政治家に対し,非常に腹が立つ。
 そもそも政治家の選び方に問題があるのではないだろうか。口で理想論を言うのは高校生や大学生にでもできる。それを聞き,多少人柄を考慮して国民は投票をする。政治の能力などまったく関係がなく選ばれていく。だから素人集団の政府しかできないのだ。原発事故直後に政府がおこなっていた会議のメンバーを見ると,蓮舫氏や辻元氏などがいた。経験も専門的知識もなく,詭弁によって口げんかに勝てるというだけのニセモノが日本や国民の運命を握っていたのかと思うと,ゾッとすると同時に悲しくて涙が出てくる。
 政治家は国民の投票で選ぶことを続けるのならば,政治家の役割を変えていったほうがよい。やはり実践的な能力のあるのは官僚である。だから官僚が国を動かしたほうがよい。しかし,その官僚が自己の利益のために行動したり,偏った判断をしたり,あるいは抜け落ちたりしている政策や準備・対策がある可能性が高いので,官僚たちの不正や判断ミスなどをチェックすることを政治家の仕事とするのはどうであろうか。突然そのあたりの一般市民が政治家になって,何になるというのか。いや,謙虚で誠実な普通の市民が政治家になったほうが,今の政治家たちよりはまだ良いのかもしれない。