放射能に汚染された土などを保管する中間貯蔵施設を双葉町に設置するよう細野氏が地元に頼んでいる。町長に断られた細野氏は,「本当に申し訳なく思う」「丁寧に説明をして理解を得ていく」と話す。この2つの文言は細野氏のお決まりの言葉であり,この2つの言葉によって,これまでも全てのことを可能にしてきた。
 双葉町は確かにすぐには戻れないほど汚染されているが,間接的な加害者である政府がお金と努力を惜しまなければ,10年以内に故郷に戻ることも不可能ではないだろう。現在生存している人々が生きているうちに戻ることもできる。しかし,そのような施設をつくったら,死ぬ前に故郷に戻りたいという被害者たちの願いを打ち砕くことになる。
「申し訳なく思う」,「丁寧に説明をしていく」。この2つの言葉の威力はものすごい。対象者もマスコミも国民も,この2つの言葉の前では無言だ。謝っても説明されても何ら状況は変わらないのに,なんでも許せてしまう。双葉町の人々に対してたいした賠償を行わず,故郷や広大な土地を奪うことができる。不可能なことでも可能にしてしまう不思議な言葉だ。しかし他の人々をだませたとしても,私はこの言葉を聞くと怒りに震える。
 私には他の方法がたくさんあるように思うのだが,やはりお金がかかるという理由で事故前に福島原発の堤防を高くする提案を「高くしなくてもやっぱり大丈夫だった」と言い張った論理と同じで,政府は安上がりで簡単に済む「双葉町に置く」という方法に決めたのだろう。おそらく殺されようとも政治家たちは変わらない。なぜなら,変わるものを持っていないからである。悪意を持っての行動やわざとではなく,根本的な(欲張りでごう慢でわがままな)性格や能力の問題である。