政府の事故調査検証委員会が福島原発事故に関する中間報告を発表し,それを受けて保安院院長が「原子力を規制する機関として情報収集の機能も発揮できなかった。いろいろな体制が不十分であったことを反省しなければならない。今なお、多数の住民に避難生活を強いており、責任者としておわびしたい」と述べた。
「おわびしたい」…。能力も権力も全てを補償できる莫大な資産もあるわけではないたった一人の中年男性(これでは近所のおじさんでも同じ)が出てきて「おわびしたい」の日本語6文字を発することで,多くの責任を帳消しにできる。日本はものすごい国だ。
 九州大のある研究者が,夏ごろに「保安院は解体に値する」と述べていたが,これまでの,そしてこれからの被害に対して何の補償ができなくても,せめて道義的に,そして同じ轍を踏まないためにも,保安院の存続は無しだろう。

 このように書けば,ではどうやって原発を管理するのか!と反論する人が出てくるだろうが,それは本末転倒であって,保安院をなくした後にどうするかを考えるのが順序である。代わりの案を出せという怒りの声も聞こえてきそうだが,代わりの案も含めて今後の原発をみんなで考えることが大切なのである。道(代わりの案)など無数にある。少し言ってしまえば,御用学者や東電から利益を得ていた学者以外の研究者を関連学会から推薦してもらってメンバーを構成するとか,原発に関して権威ある世界各国の学者や国際機関の学者にメンバーとして入ってもらうとか,あるいは原発の監視・管理機関をなくし,つまり原発もなくするという道もあろう。

 皆に言いたい。大切なことは国民みんなの安全・安心な生活である。放射能もそうであるが,社会制度や雇用の安定なども含めた生活や人生に対する満足感である。それらを守るというか,これから作っていくために,利益にしがみつく政府やおかしな学者たちの詭弁やごまかし,嘘,責任放棄に対しては,1つも許すことはできないのである。もし許したら,それはどこまでも広がっていく。誤った規範が日本にできあがってしまう(もう出来上がっているから偉そうな人の「ごめんなさい」ですべてが許されているのであるが,その規範がさらに強固なものになってしまう)。だから,私も細かいことを指摘するようだが,決して認めたり許したりしてはできないのである。今回が新しい日本をつくる最初で最後のチャンスなのだ。