平野復興大臣が「私の高校の同級生みたいに逃げなかったばかなやつもいます。彼は亡くなりましたけど。」と発言した。友達を失った悲しさ,無念さがにじみ出る言葉だ。この発言に対し,自民党の大島副総裁は「亡くなった方をばかという表現は、大臣として許されざる言葉だと思います。これは辞めてもらうしかない。」と国会で追及していくとのことだ。
 自民党やマスコミは「どのようなことがあってもばかという言葉を使うことはよくない」「24時間公人だから私的なことであろうとばかというのはよくない」との理由を根拠に攻撃を開始しているが,この根拠はおかしい。具体例を挙げてわかりやすく表現するのは当然である。結論(平野氏が伝えたかったことや本筋)が「同級生がばかだ」というのであればよくないが,「逃げる必要があり,どのような対策が必要かを考えることが重要だ」という結論をわかりやすく伝えたり強く訴えたりするために補助的に使われる具体例は,過去の別の事例を持ち出したり個人的な経験などを使ったりしても何ら問題ない。むしろそれが話し方として自然でありわかりやすい。
 自民党は,発言者の言葉尻をとらえ真意をゆがめて非難ばかりおこなっている。発言者に問題があるのではなく,自民党の国語力や性格の問題である。自民党のことはもう相手にしないとして,先日鉢呂経産大臣を言葉狩りと興味本位によって辞任に追い込んだマスコミと国民だけはもう対応を間違ってはいけない。