埼玉県の朝霞市で,豪華な国家公務員宿舎建設の工事が始まった。もちろん国民の血税で造られる。こんなことをやっているから当然お金が足らなくなり,消費税も上げざるを得なくなる。
 このような状態で消費税を上げることに賛成の人が,はたして政治家以外にいるだろうか。政治家たちの暴走を止める手段は国民にはなく,言いなりになるしかない。日本は,独裁国家の北朝鮮や一党独裁の中国と結果的に何が違うのだろう。
 原発事故からの復興を見ていても思うが,国民が戦わなければならない敵はいつでも政治家たちではないだろうか。たしかにその政治家たちを選んでいるのは我々国民だ。だから形式上は政治家が国民の代表なのかもしれないが,実際は選挙で選ばれた多くの議員たちは党内で国民や自分の意見を強く訴えることもできずに党の実力者や長く議員をやっている人たちの駒にならざるを得ないという「しくみ」になっている。このしくみをどのように変えていけばよいのだろうか。

 国会議員を選ぶ時,国民はその人の専門知識などを考えて投票をするわけではない。しかし国政や外交を行っていく場合,専門知識だけが必要と言っても過言ではない。その分野のプロではない人がコロコロ変わりながら社会を動かして引っ張っていくというのではむちゃくちゃだ。やはり専門知識を持った本格的な集団が継続して日本の実務をきちんと行っていく必要がある。つまり政治家が様々なことをおこなうのではなく霞が関の各省庁が(大臣ではなく)事務次官をトップとしてやっていくことが必要ではないだろうか。そして,それら行政の怠慢や違法行為などを常に監視する独立専門機関(学者や検察などで構成)を置く。その権限には当然司法捜査権も与える。それからもうひとつ,これまで政治家がやっていた全体のまとめ役,調整役となる組織も必要だ(独立専門機関の下に)。そこのトップが外交では今の総理のような仕事をしていくのがよい。
 では,政治家の役目をどうするか。政治家は選挙で票が入れば素人でもなれるようになっている以上,国の専門的なことをおこなう位置づけはおかしい。ましてや省庁のトップになってプロ集団に命令ができる大臣になれるなど間違っている。そこで,必死の思いで生活をしている一般の国民が議員になって,日本の社会や経済にどのようになってもらいたいかという大まかな願いや方向性を行政に伝える役目を与えるのはどうであろう。指示を受けた行政は,最大限それを尊重しなければいけないようにする(無理なことや間違いもあるので絶対に従うようにはしない)。国会議員は職を持ちながら素人が1年間行うようにし,立候補制ではなく裁判員制度のように国民から無作為に選んでいく。
 行政を監視する独立専門機関をしっかりとした本格組織にすれば,これでうまくやって行けるのではないだろうか。もちろん霞が関の人々に私利私欲や悪意,しがらみなどがないということが大前提ではある。学校の教員たちは悪いこと,ずるいことを考えず,自分を犠牲にしてまで子どもたちのために働いている。公務員だからと言って必ず怠けたりずるをしたり,自分たちにいいことをこっそりやったりするというわけではない。霞が関の国家公務員たちも,教員のように心から悪と戦いひたすら奉仕の精神で仕事をすることが不可能とは思えない。すべてのスタートはここからだ。