原発推進者は,「今の便利な生活を捨てるのか」という議論に持ち込みたがる。みんなによく考えてもらいたいのは,何が便利な生活なのか,何が幸せなのかということである。
 日本より電力に頼っていない国(ほとんどの国)の人々は生活が不便と感じているだろうか。東京に比べてはるかに電気を使わずに素朴な生活を送っている福島や岩手,新潟や岡山,鳥取や熊本などの人々は不便を感じているだろうか。逆に東京の人々より自分たちはゆとりのある幸せな人生を送っていると感じていると私は思うのである。都会であくせく働いて人生のほとんどを終えた人々は,定年後に田舎暮らしにあこがれるという。電気もない山奥や昔ながらの農村にあえて移住する人々もそれがよくてそこに住んでいる。電気による恩恵が大きすぎれば,環境を破壊したり人々の生活からゆとりや落ち着きをなくすことにもなるし,電気で動くものを使いこなすことが自然と義務化されてしまい,それがたくさんあるとなるととてもあわただしい生活となってしまう。
 人間の生き方,本当の幸せということを考えるならば,むしろ電気があまりないほうがよいと思う。電気が今よりずっと減ることによって人々の生活や仕事の仕方,社会の在り方が変わるだろうが,それを「不便」と表するのはあまりにも短絡的で適切ではない。