今晩の金曜ロードショーで,「ブタがいた教室」が放送される。番組の解説欄には,「みんなで育てた仔ブタを食べる?食べない?先生と子供たちが出した結論とは?妻夫木聡と26人の子供たちが贈る、「いのち」と真剣に向き合った感動の実話が地上波初登場!」とある。数年前にこのブログで私が非難をしたある教師の実践を映画化したものである。
 以前の主張の繰り返しになるが,この実践は,名前を付けて家族やクラスの一員,あるいはペットとしてかわいがって育てていたものを食べる(食用として売る)というところに大きな問題がある。この実践について賛否両論があるなどとして定期的に注目を浴びるが,単なる異常で気持ちの悪い行いである。畜産業を営んでいる農家の人は,食肉用に育てている豚や牛には絶対に名前を付けたりしないという。何千頭と食肉用に豚を売ってきてそのようなことに慣れている大人でさえもかわいそうで耐えられないから決してしないようなこと(名前を付け家族同様にかわいがってから食べたり売ったりするということ)を,教育と称してショックの大きい幼い小学生に対してさせたことは残酷な虐待であると思う。「発達段階を無視した教育」以前の問題である。現在大人になったこの子らやその親たちの記憶には,インタビューなどから現在も暗い影を落としていることが感じられた。皆さんによく考えてもらいたい。名前を付けてかわいがって育てておいてからその動物を食べたり食用として売ったりできる人は変態や異常者ではないだろうか。
 この映画は,「いのちと真剣に向き合った」ものではない。教師の思い違いから,大切な「いのち」を倫理的に非常に軽く扱ってしまったものである。「感動の実話」でもない。この映画を見て涙が止まらなくなるのは悲しさからであって感動の涙ではない。これは未熟な若い教師と,その教師に丸め込まれた同僚教師,その教師をいさめることができなかったベテラン教師や校長たちの罪深き物語である。この教師を精神的な虐待の罪などで罰することができるのではないかと個人的には思うのだが,法律的にどうなのだろうか。
 余談だが,このゾッとするような前代未聞のおこないをしていた教師は,現在ある大学で将来教員になる人たちを育てる仕事に就いている。