今日,また新たに原発関係の委員会ができた。今回の原発事故はどこに問題があったのか検証をするとのことだ。私に言わせれば,これも悪意のある茶番劇である。なぜなら,これまで原発を推進してきて,今後も脱原発の道は取らないと世界に宣言をした菅総理が発足した委員会であるからだ。目的はおのずとわかってくる。我々政府は反省してますよ,真剣に取り組んでいますよと国民に思わせたいのだろう。
 百歩譲って悪意がないとしても,やはりこの委員会は無意味である。この委員会はそれなりに問題点を挙げてくるだろう。それに基づいて組織のあり方や事故への取り組み方が改善されるのだと思う。しかしいざ大きな事故が起きると,担当者が集まれない,独立した機関(今後の安全保安院など)であっても大混乱の中でパニックになった政府から強制的?な依頼がいく,新しく造った指令センターのような何らかの施設も壊れる,国民がパニックになるとの理由が最優先されてスピーディーやパラメーターの情報がやはり隠ぺいされる,となるのは目に見えている。想定外のことや新しいこともどんどん起きる。どんなにこの委員会が問題点をだして組織や原発の施設が改善されても,実際原発に危機が迫った時に全てがうまく機能をして安全に収束をさせる姿がどうしてもイメージできない。
 さらに人間の問題ではなく,機械や設備の問題も存在する。精密なジャンボジェットであろうとコンピューターであろうと,人が作った機械類で故障や事故が起きないものはない。どんなに改善してもどんなに技術が発展しても設計をしたり造ったりするのが人間であり相手が機械である以上,不具合や事故は必ず起きる。
 原発もどんなに改善をし注意を払ってきても,これで大事故は世界で3回目だ。これが最終なのだろうか。そんな保障は全くない。だから事故が起きてもまあいいようなものなら造ってもよいだろう。しかし原発が事故を起こせば,何十年にもわたって広範囲に被害が及ぶ。そのようなものは人間が手を付けてはいけない。しかし委員会がこれまで原発政策のどこに問題があったのかを挙げるということは,今後も原発に手を付けて取り組んでいけ!ということと同じではないだろうか。この委員会からの最終報告は問題点を挙げるのではなく,たった一言「原発を扱うことは現代の人間には無理である」でよい。

(言葉遊びの好きな人々のために一応書いておくが,「脱原発」とは明日にすべての原発を止めるという極論を指すのではない。本日ドイツは脱原発が閣議決定された。ドイツやスイスの取り組みをみてもらいたい)