閣僚懇談会で菅総理は「一定のめど」について,自分としては「常識的に判断したい」と話していた。菅総理の辞任の時期についてずっと漠然とした言葉が並んできておりこれ以上はもうないだろうと思っていたが,「常識的に…」と聞いて菅総理のある種の秀でた能力を感じた。この人は自分の逃げ道を常に確保しておくための抽象的な言葉がすぐに頭に浮かぶ才能を持っている。そして,それを使って防御をしながら相手に対して詭弁でたたみこむように強く攻撃するという手法をとる。こんな茶番が何十年も通用していることにも驚く。
さらに言わせていただくなら,菅総理の常識的な判断と,国民やマスコミ,他の政治家などの常識的な判断は異なるものであるという自覚が菅総理にはない。自分自身を客観的に見ることができない人物が人の上にたつと周囲とぶつかってしまうし,大変な事態を引き起こしてしまう。
菅氏は今すぐ退陣をしお遍路をしながら,自分の論理性はどのようなものだったのか,(勝ち負けのある口げんかではなく)本当の議論とはどういうものなのか,ゆっくり考えてみてもらいたいと思う。側近たちも総理をかばっているつもりかもしれないが,これ以上菅総理を裸の王様にしておいては,あまりにも菅氏がかわいそうである。
さらに言わせていただくなら,菅総理の常識的な判断と,国民やマスコミ,他の政治家などの常識的な判断は異なるものであるという自覚が菅総理にはない。自分自身を客観的に見ることができない人物が人の上にたつと周囲とぶつかってしまうし,大変な事態を引き起こしてしまう。
菅氏は今すぐ退陣をしお遍路をしながら,自分の論理性はどのようなものだったのか,(勝ち負けのある口げんかではなく)本当の議論とはどういうものなのか,ゆっくり考えてみてもらいたいと思う。側近たちも総理をかばっているつもりかもしれないが,これ以上菅総理を裸の王様にしておいては,あまりにも菅氏がかわいそうである。