原発推進のフランス大統領は,福島原発の事故後も「脱原発か原発推進の二者択一の議論ではない」という主張を繰り返してきた。G8でも,「脱原発という言葉を使わないでほしい」ということを各国首脳に根回しをし,実際会議ではその願いがなんとか保たれた形だ。
しかしこの論理はどこかおかしくないだろうか。脱原発か原発推進の二者択一ではないということはその通りであろう。だから脱原発という言葉を使うなということもその通りである。しかし,この「脱原発」という言葉の定義が幾通りかあって,それを個々が都合のいい定義を選択して話を進めている。だから,どうも煙にまかれたような話になっているのではないだろうか。
ドイツやスイスが言う「脱原発」とは,止められる原発は今すぐ止め,今後新しい原発は造らず,自然エネルギーの開発を進めていくという意味である。フランスやアメリカの言う「脱原発」というのは,今すぐ全ての原発を止められないのだから,今後も原発を造り続け,世界中にも造っていくという意味である。フランスの主張は,極論を持ち出して否定することでもう一方の正しさを主張するという,最も陳腐で代表的な詭弁である。日本の言う「脱原発」というのは,今回の原発事故でさすがに懲りたこともあり,本当はドイツやスイスと同じ意味で使いたいという気持ちであろうが,原発事故処理でフランスやアメリカの助けを借りてしまったので,フランスなどの主張も取り入れた「4本柱」という玉虫色の主張をするはめになっている。
日本は脱原発に向けて取り組んでいくとは言わなかったが,フランスやアメリカと一線を画し,国内で新しく原発を造ったり外国に売り込んだりすることはもうやらないであろう…,と願いたい。
しかしこの論理はどこかおかしくないだろうか。脱原発か原発推進の二者択一ではないということはその通りであろう。だから脱原発という言葉を使うなということもその通りである。しかし,この「脱原発」という言葉の定義が幾通りかあって,それを個々が都合のいい定義を選択して話を進めている。だから,どうも煙にまかれたような話になっているのではないだろうか。
ドイツやスイスが言う「脱原発」とは,止められる原発は今すぐ止め,今後新しい原発は造らず,自然エネルギーの開発を進めていくという意味である。フランスやアメリカの言う「脱原発」というのは,今すぐ全ての原発を止められないのだから,今後も原発を造り続け,世界中にも造っていくという意味である。フランスの主張は,極論を持ち出して否定することでもう一方の正しさを主張するという,最も陳腐で代表的な詭弁である。日本の言う「脱原発」というのは,今回の原発事故でさすがに懲りたこともあり,本当はドイツやスイスと同じ意味で使いたいという気持ちであろうが,原発事故処理でフランスやアメリカの助けを借りてしまったので,フランスなどの主張も取り入れた「4本柱」という玉虫色の主張をするはめになっている。
日本は脱原発に向けて取り組んでいくとは言わなかったが,フランスやアメリカと一線を画し,国内で新しく原発を造ったり外国に売り込んだりすることはもうやらないであろう…,と願いたい。