福島県の農地の土壌を70カ所で調査した結果,複数の地点から高濃度のセシウムが検出された。国ではもう一度再検査をするとのことだ。再検査に何の意味があるのだろうか。仮に違うところの土壌を検査して高濃度のセシウムが検出されなかったとしても,高濃度のセシウムが検出される土壌があることに変わりはない。もちろんすべての土壌が高濃度セシウムで汚染されているとは言えないが,すべての土壌でセシウムは検出されないといえる調査や結果でもない。割合は不明であるが,まだら状に高濃度セシウムで汚染された土壌があるのだろう。まだセシウムが大量に落ちていない土壌にヒットするまで再検査をして,「問題ないからこの村は大丈夫だ」というのは,ばかげた話だ。
 漁業では,茨城県沖で取れた魚の水揚げを拒否した銚子港の行為は法に触れる恐れがあると国は言う。海の放射能濃度のわずかな地点の調査結果でも,遠くの地点より沿岸部のほうが放射能の値が高くなっている。大学教授たちは,放射能が海に広がって拡散されるので全く心配ないとプロパガンダに必死だが,モニタリングの結果やあれほど高濃度,低濃度の放射能が入った水を海に流して,まったく大丈夫なわけはないだろう。実際,ある魚からは基準値を超える放射能が検出されている。さらに3回か4回調査して放射能や魚から放射能が検出されなくても,放射能が海や魚から検出されたことは否定できない。だから,全部ではないがそういう海がありそういう魚も確かにいるのである。だから,全員ではないが誰かは犠牲になるという話なのである。
 国,それから農業や漁業を営んでいる人たちは,安全だ,風評被害だ,大丈夫だから食べてほしいと訴えているが,それは犯罪行為に等しいだろう。誰かは基準値を超えた放射能入りにあたって犠牲になるのだから。すべての農作物,すべての魚が危険ではない以上,食べても大丈夫だという論理が私には理解できない。検査で1度でも高濃度のセシウム,国の基準を超えたヨウ素などが検出された以上,割合は調査不足なので不明だが,あることに間違いはないのである。このように危険なものが混ざっている場合,それら全部を市場に出さないのはあたりまえではないだろうか。わずかな人数だったら犠牲になってもしょうがないのだろうか。もしかしたらわずかではなく,ほとんどが大量の放射能に汚染されているかもしれない。いや,関東も含め,周辺に降っている毎日の放射能の積算量などを考えると,農作物はすべて危険で,のちの3回の検査で検出されなかったという結果は嘘ではないかという疑問さえ抱いてしまう(農作物でも牛乳でも肉でも魚でも,基準を超える放射能が見つかった後の,3回の調査はすべて検出されないという結果になることははじめからわかっている)。
 農作物や魚から基準を超える放射能が1度でも検出されたら,危ないから食べるな!というのが国の責任,生産者の責任ではないだろうか。もちろん農家の人たちや漁業をしている人たちが,大変なことになるというのはわかる。でもこのような状況になったのだから仕方のないことだろう。そして,当然国が農家や漁業をしている人たちに補償をする。そういうことであろう。
 だから,本当にこの農作物は安全だ,この魚は安全だといえるように,そして国民も心からそう信じられるようにするために,1キロ程度のメッシュ状に細かく,放射能の種類ごとに,大気,土壌,海水,農作物,魚介類の調査を定期的に行う必要があるのである。それから,地下水の調査も必要である。地下水を使うペットペットボトルや缶ジュース,醤油などの調味料なども安全だと言い切れるように地下水の調査が必要だ。これ以外に,本当に国民の健康を守る方法はないだろう。
 しかし,これを言ってはおしまいなのであるが,結論を言うと日本では無理だろう。もしこのような調査をしても,放射能が検出されたときは「検出されなかった。まったく安全です」と嘘を言うだろう。どのような結果が出てもそのようにいうのだから,無駄な調査を行う必要はないと国は思っているだろう。なぜこんなことがいえるかというと,まずいことは何でも隠そうとする政治家のこれまでの行動,東電の隠ぺい体質,日本は情報を公開しろと世界から責められていることなどを見てきたからである。私の判断は間違っているだろうか。今後数十年から百年は,日本の政治家や日本の民間会社の隠ぺい体質がなくなることはないと断言する。