来年も計画停電が実施される見通しだ。福島原発とも今後数十年から百年は付き合って行かなければならないようである。福島の土壌の放射能についても,もし原発から百キロ以内の土壌すべてが大量の放射能に汚染されていたとしたら,それを政府は発表するだろうか。かなりの長い年月にわたって物質的にも精神的にも不便が予想される。
 しかしその不便は,これまでの日本に比べてということであることを確認したい。日本人がオーストラリアに行くとコレラにかかったりする人もいるそうだ。それは野菜を洗ったわずかな水が原因で,もちろんオーストラリアの人たちはそんな水でコレラにかかったりはしない。それほど日本の空気や水,食物のきれいさは世界でも群を抜いている。これは衛生面で発展した国のようにも思うが,実は体の抵抗力や免疫力を弱らせている後進国ではないのだろうか。夜に東京の街を歩くと昼間のように明るいところもある。自動車や電車,飛行機がひっきりなしに移動し,大量の電気や石油を消費する。はたしてこのような社会が素晴らしいのだろうか。本当に便利な社会なのだろうか。人々は利益を追及するあまり,ほかのすべてのもの(物質的にも精神的にも)を犠牲にしている不幸社会のようにも感ずるのである。
 世界を見ると,日本ほど科学技術が発達していないが,そこそこ不便を感じることなく幸せに暮らしている国もある。むしろその方が多いだろう。そこに住む人々の生活に対する満足度は,日本に劣るものではない。人は「慣れる」ものであるし,「住めば都」である。いまだにジャングルで暮らしている民族だって何の不便も感じることなく幸せに暮らしているのだろう。たとえ株式売買がなくても携帯電話がなくても自動車がなくてもデパートがなくても…。欲を出したらきりがないのであり,何が幸せか便利かも確定してはいない。幸せとは外にはない。心の中にあるものだ。
 これから新しい日本をつっていくことになろう。その際,以前の日本の姿を目指したら人々は不安や不幸を感じながら生活をすることになり,苦しみも大きい。そこで利益第一主義の社会,科学技術の発展だけを目指していくことはやめて,今の日本人でも大きな不便を感じることがない程度まで,可能な限り物も仕組みもすべてをシンプルにすっきりとさせ,自然や環境を徹底的に大切にし,社会制度や助け合いの充実した心休まる平和な社会を作っていってはどうだろうか。資本主義の発展はもう目指さない。トレードも貿易戦争もやめる。仕事の仕方も変え,箱モノは最低限にし,自動車も多くを作らず,バスや電車が静かな緑の町の中をスーッと走っていく。電車には笑顔の家族が乗っている。夜になると町はそれなりに暗くなる。伝えにくいが,美しい自然の生活,高原での生活といったイメージだろうか。
 世界に先駆けて,世界から目標とされる普遍的な最高の国,新たな理想郷を作り上げるチャンスであるかもしれない。