TVドラマや映画、歌などで、恋人や妻、祖母などの死を扱ったものが多くなってきた。それらを見たり聞いたりした人は涙を流し、「感動した」「いいドラマ(歌)だった」と言う。しかし、そのような悲しみを題材にするようなドラマや歌には個人的に好感が持てないのである。自分との間に情のあったもの(人や動物)の死とは当然悲しいものだ。涙も出よう。だが、悲しみの涙は決して感動の涙ではないし、強制的に涙を流させることができる方法を安易にとることに愚かさというか醜さみたいなものを感じてしまう。
 それらの製作者や高評価をする人々は、「必ず死があると認識することも今をよりよく生きることになるから、素晴らしいドラマ(歌)だ」などの言い古された説明をするが、それも詭弁に聞こえる。なぜなら、現実的には学ぶことより悲しみや心に受ける傷、ショックのほうがはるかに大きいからだ。
 人の感情をもてあそぶような態度(製作者は無意識かもしれないが)、困った時の「死頼み」という意図が感じられて、どうも嫌な雰囲気である。