新聞に載らなくても、小・中学校では集団での陰湿ないじめや教師に対する反抗(暴力)などは日常的に起きている。このようなことは戦前や戦時中の小・中学校では皆無だったのではないだろうか。このような子どもらが社会に出ると、オヤジ狩りを楽しんだり成人式で暴れたり、あるいは街の不良となって他人に迷惑をかけることに喜びを感じながら生活したりしていくのだろう。
このような現代病ともいえる新しい問題が出てきた原因には、個性尊重の名のものに行われてきた子どものわがままや自分勝手な自己主張の尊重、体罰禁止の名のもとに子どもが悪いことをした時に教師が罰を与えたりたたいたりすることが禁止になったことなどがある。また、ひねくれた子どもを陰で支えている親達(専門性の高い学校教育に平気で口を出す親達)の存在も大きい。
戦中や戦後すぐの子ども達は、学校でおかしなことや悪いことをした時には当然のごとく教師に一喝され、いたずらがひどい時はたたかれもした。身の程知らずの変な親達もいなかった。だから、現在いるような我慢ができない子やわがままな子、本能のままに行動する子もいなかった。それどころか、その子らは大人になり荒廃した日本を技術的、経済的に世界トップレベルにまで成長させることもできた。
文科省には、人を育てるとはどういうことか、現状を直視し素直に反省をしながら、よく考えてもらいたいものである。
このような現代病ともいえる新しい問題が出てきた原因には、個性尊重の名のものに行われてきた子どものわがままや自分勝手な自己主張の尊重、体罰禁止の名のもとに子どもが悪いことをした時に教師が罰を与えたりたたいたりすることが禁止になったことなどがある。また、ひねくれた子どもを陰で支えている親達(専門性の高い学校教育に平気で口を出す親達)の存在も大きい。
戦中や戦後すぐの子ども達は、学校でおかしなことや悪いことをした時には当然のごとく教師に一喝され、いたずらがひどい時はたたかれもした。身の程知らずの変な親達もいなかった。だから、現在いるような我慢ができない子やわがままな子、本能のままに行動する子もいなかった。それどころか、その子らは大人になり荒廃した日本を技術的、経済的に世界トップレベルにまで成長させることもできた。
文科省には、人を育てるとはどういうことか、現状を直視し素直に反省をしながら、よく考えてもらいたいものである。