一昨日も女子高生の飛び降り自殺があった。中・高校生の自殺の連鎖が止らない。最近自殺が続いているのは、自殺のニュースを大々的に放送することで、悩んでいる学生達にそのような方法があるということを認識させたり他の人もやっているという安心感を与えたりしていることも要因として考えられる。
私自身の子どもの頃を振り返ると、当然悪口を言ってきたり何かを要求してきたりする悪い同級生は常にいた。しかし、それが「自殺」ということには結びつかなかった。私の中に「自分が自殺をする」という概念がそもそもなかった。しかし、もしたくさんの関係報道を見たり親達からそのような話を聞いたりしていたら、私も「困った、嫌だ=自殺」という方程式を知ったかもしれない。
数十年前、学校や教師は、事件が起こったとしても今のように面白おかしく繰り返し報道されることもなく尊敬すべき対象として扱われていた時代だったため、子どもであった私も担任に何か間違ったことを言われたりたたかれたりしても、学校の先生を嫌いになるとか恨む、悪口を言うなどということはわからなかったし、思いもつかなかった。だからその後も先生のいうことを素直に聞いて、反抗的な態度をとったりぐれたりすることなく自分の悪い所を直すように気をつけながら普通に成長した。
戦後長らく学校や教師に対する余計な情報(マイナス情報)を流すことなどなかったことが、結果的に学校における子どもへの教育を効果的にしていた。今はマスコミによる学校批判によって、子供達も親達も学校を尊敬の対象としなくなり、親が学校や教師に平気で文句を言ったり子供達が教師の言うことを聞かなくなったりしている。子どもが悪くなっても教師は基本的には困らない。親も子どもも、天につばをしている(自分の行いが自分に返ってくる)だけである。そして張本人のマスコミは結果において責任をとることはなく、他人事のような態度をとっているだけである。
寝た子を起こすなという議論は間違いだとか、真実は伝えたほうがよいとはいうが、悪影響を及ぼす情報を与える必要はない。
私自身の子どもの頃を振り返ると、当然悪口を言ってきたり何かを要求してきたりする悪い同級生は常にいた。しかし、それが「自殺」ということには結びつかなかった。私の中に「自分が自殺をする」という概念がそもそもなかった。しかし、もしたくさんの関係報道を見たり親達からそのような話を聞いたりしていたら、私も「困った、嫌だ=自殺」という方程式を知ったかもしれない。
数十年前、学校や教師は、事件が起こったとしても今のように面白おかしく繰り返し報道されることもなく尊敬すべき対象として扱われていた時代だったため、子どもであった私も担任に何か間違ったことを言われたりたたかれたりしても、学校の先生を嫌いになるとか恨む、悪口を言うなどということはわからなかったし、思いもつかなかった。だからその後も先生のいうことを素直に聞いて、反抗的な態度をとったりぐれたりすることなく自分の悪い所を直すように気をつけながら普通に成長した。
戦後長らく学校や教師に対する余計な情報(マイナス情報)を流すことなどなかったことが、結果的に学校における子どもへの教育を効果的にしていた。今はマスコミによる学校批判によって、子供達も親達も学校を尊敬の対象としなくなり、親が学校や教師に平気で文句を言ったり子供達が教師の言うことを聞かなくなったりしている。子どもが悪くなっても教師は基本的には困らない。親も子どもも、天につばをしている(自分の行いが自分に返ってくる)だけである。そして張本人のマスコミは結果において責任をとることはなく、他人事のような態度をとっているだけである。
寝た子を起こすなという議論は間違いだとか、真実は伝えたほうがよいとはいうが、悪影響を及ぼす情報を与える必要はない。