小学六年の女子児童がいじめにあい、自殺した。いじめの中心となっていた子が数人いたそうだ。その子らを実質的にサポートしていた手下風の優柔不断な児童が6~7人おり、その他の子が悪いと思いながらもいじめに加わってしまっていたというところだろうか。
 このような場合、リーダー性のある賢い女子1人が中心となって、影で噂話をしたり否定的なことを言ったりして、いじめがはびこる土壌を作ってしまっていることが多い。もちろんその賢い女子は、バカではないのでいじめを増やそうという意図や自分がそのような役割をしてしまっているという意識はない。さらに、学級の親達が子どもに学校の悪口を言ったり親同士で噂話をしたりして、間接的に学級でのいじめをサポートしていることも想像される。子ども達は、どんなに学級で指導をしても、子どもの嘘やたわごとに同意し学校での指導を批難してくれる場(家庭)があると、どうしても学級でよくならない。しかし、親を変えることは非常に難しく、問題のある子どもの親は、それに輪をかけて学校に対して批判的・攻撃的なものである。
 報道を見ていると、小学六年の女子児童が自殺をし、学校が全ての責任を負わされている格好だ。親がとんでもない問題児に育て、その子を学校にあずけておけば何か問題を起こしても学校の責任にできる現状はおかしい。学校(学級)でもその子らに散々迷惑をかけられ、育てる指導さえも通らない。そして最後は学校のせいではたまったものではない。このように書くと、指導の仕方が悪い、どんな子どもでも愛情をもって接し信頼関係を築いて指導にあたれば子どもはよくなる、とのんきなベテラン教師は言うかもしれない。しかしそのようにいえるのは、幸いにもこれまでそのようにいえなくなるような子どもと親集団に出合っていなかっただけのことである。
 私は、高校や大学のように留年とまではいかなくても、毎学年の終わりにその子の学力と生活態度について検討をし、問題があるとなれば専門の補習学級や補習施設に通級させることができるようにしたほうが、その子(の落ちこぼれや問題行動の改善)や周囲の子どもにとってもよいし、いじめで自殺をする子どももいなくなっていくように思う。できたら、その子の親向けの教室も設けたほうがよい(しつけや学校への協力のあり方について)。そのような子どもに育てた親には何か問題があるのでそのような子どもになっているのだから。
 子どもによって差があるのは当然で、通級させることは恥ずかしいことでもなく、個々の能力に応じた適切な指導を行うことが最も能力を伸ばす方法なのである。無理をしてみな一律に指導をするから、その集団で様々な問題が起きてくるのである。

 理想をかいてみた。実際には、問題のある親や子どもはプライドがすごいので、絶対に個別指導をいやがるだろう。学力と問題行動に関する指導の通級が一般的となるよう、制度改革と社会の雰囲気作りを求めたい。