24時間(26時間)テレビで、芸能人が長距離を走り、最後に他の芸能人達が「がんばったね」、「感動をありがとう」と泣きながら声をかけるコーナーがある。あれはなんのために走っているのだろうか。周囲の芸能人たちが走り終わった人に対して「感動をありがとう!」と何十回も声をかけていることから想像すると、視聴者を感動させるため、あるいは頑張っている姿を見せるためなのだろうか。
 人が感動をしたり頑張る姿を見て応援したくなる感情は、ある人が自分の日常生活や人生の上で生ずる目標を達成するために一生懸命に努力をしている姿を見て自然と生まれるものであって、必要に駆られた目的がなく副次的に生じる「感動すること」そのものを目的として何かが行われることに奇異な感じを受けるのである。主たる目的なしに,強制的に感動させてやろうとする行為は,人間の心をもてあそび、愚弄するものではないだろうか。
 いやそれ以前に,これは本当に「感動」なのだろうか。気の毒な姿を見て出る「同情」の涙ではないだろうか。