あなた方の代表が、「国は機動力がない、柔軟性がまったくない、臨機応変にやらないとだめだ。」などと話し、結果的に全国に口蹄疫が広がる可能性を残すよう主張していた。彼がむきになって発言したり書いたりしたもののほぼ全てが適切でないか相手の悪口であるとこのブログで述べてきたので、一例としてこの発言を取り上げてみたい。

 まず「機動力がない」ということについてであるが、たくさんの方法がある中で相手が自分の思った1つの方法の通りに動かなかったといって、相手が素早く行動に移らなかった(機動力が無かった)ということにはならない。機動力はあるが、単に相手が自分の思った通りには動いてくれないということである。従ってこの場合の「国は機動力がない」という使い方は適切ではない。
 次に「柔軟性がまったくない」ということについてであるが、「柔軟性」があってはいけない場合もごまんとあるのである。例えばマークシートテストの採点や納税の義務、万引きや殺人などの違法行為などついて、柔軟性の名の下で好き勝手が許されたら社会は崩壊してしまう。今回の場合は、他県に口蹄疫が感染し全国に広がったら取り返しがつかなくなるという事案であり、その対策において危険性が高まる方向への柔軟性を求めるのは適切ではない。
 最後に、「臨機応変にやらないとだめだ」ということについてであるが、これも同じようなことで、素早く危険性を除去し感染を抑えることが重要な時に、それを臨機応変にやたらまずいであろう。
 宮崎県知事は、ひとつぐらいおかしくないことを言えないものだろうか。

 ある新聞社による自分への指摘に対し長々と反論をしてたが、その内容もほとんどがおかしいものであった。自分に対して新聞社が使った「平等」だか「共通」などといったある一語を取り上げて言葉の定義の話にすり替え、その言葉の定義のやり取りの中で何とか揚げ足をとって自分の活路を見出そうとしていた。これは、口げんかは好きだが能力はない人達に共通にみられる戦法である。
 
 彼がこのようになった原因を考えると、まず出身大学のコンプレックス(彼の漫談からそれがよくわかる)や芸人として売れなかったこと、法的問題で社会から認められてこなかったことなどから生じた強烈なプライドと攻撃性(復讐心?)といったものがあろう。第二に、やはり能力と経験不足であろう。このままでは彼が変わっていくことは難しいと思われる。

 もし、今回殺処分をした牛を生かしておいて、そこから全国に口蹄疫が広がったら(この可能性は決して低いものではなかった)、そのまんま氏を知事にした宮崎県民はどう責任をとったのであろうか。彼に責任は無い。なぜなら彼は自分自身の意思で知事になることはできなかったのである。彼のような人を知事にしたのは宮崎県民なので、法的には免れることができるかもしれないが、実質は知事としての行為全ての責任は宮崎県民にある。選挙当時は彼のことがよくわからなかったということは言ってはいけない。国民の多くが、彼がどういう人か、彼に少しでも政治経験があったかのかはわかっていたはずだ。彼自身でさえ、当選すると思ってもいなかったであろう。
 そこで彼の行動の責任者である宮崎県の方々には、彼の子どもじみたおかしな言動を身近で指摘をしながら彼を大人として社会人として知事として正しい方向に育てていくか、知事をやめさせるか、あるいは県外のことに進んでかかわることはしないように監視をしているかのいづれかを行ってもらうことをお願いしたい。