今年もあと1日となった。最後に何か書いてみようと考えていたところ、ちょうどテレビで以前厚生労働省に勤めていた夫とその妻が殺害された事件をやっていたので、それについて一言。
事件が起きた時、テレビではテロだ!無差別連続殺人事件だ!と騒がれたが、犯人が捕まり、その理由が数十年前に殺された犬のかたき?とわかると、今度はこの犯人は精神的におかしい、変だといった論調にかわっていった。国民の感情も、「たかが犬で、なんで殺人なんかするんだ、信じられない。おかしなやつだ。」というものだったであろう。
しかし、思い出してもらいたい。「ペットも家族であり、大事にしなければならない。」と主張しつづけてきたのは、その国民だったはずだ。そして、それは世論となり、社会の常識となった。
国民やマスコミは、いったいペットをどう取り扱いたいのであろうか。もし家族の一員としてとらえるということはやはり行き過ぎだというのであれば、これまでの家族同様に云々の話は、もう終わりであろう。例え犯罪者に対してであろうと、都合のいいように現在の世論や常識をコロコロとかえながら人を批難していくことは、やってはいけないことである。国民やマスコミが、犯人をからかったり、犯人を遊びの対象?にしているとも感じられる(もちろん犯人は法律違反を犯し、尊い命を奪ったので悪いとは思うが、そのことと、国民が自分達の考えや社会的常識を、すでにある結論につなげるために好き勝手に変えていってもよいということとは別の話であろう)。
もしペットを、人間の家族よりある程度下の位置の家族ととらえるならば、そのように主張をしていかないと、整合性がとれなくなる。覚悟がないのならば、かっこをつけたり、正義感ぶる必要はない。ペットは人間より少し下!と本心を言えばよい。
ここ数年、物事を客観的にみたり自分が成長していったりするために一番重要なことは、「自分のことを知る」ということだろうと考えている。もちろん、今自分が仕事をし、生活をしている井戸の中だけで自分のことを知っても意味がない。つまり、質的にも量的にもできるだけ垣根をとりはらい、見聞を広めながらその中でよりよいものとは何かを考え、自分の頭の中で現実と理想を構築していく作業が、正しい批判力を高め、自分を成長させていくことにつながっていくのだろうと考える。「一生精進」ということだろう。
死にものぐるいで納めてきた年金は消え、非正規雇用者が物のように扱われいく。ひどい世の中だ。このブログで何を書いても、このブログによってこの世の中がよい方向に変るとは思わない。しかし、これからも書いていきたい。自分自身も、まず1歩を踏み出すために。
事件が起きた時、テレビではテロだ!無差別連続殺人事件だ!と騒がれたが、犯人が捕まり、その理由が数十年前に殺された犬のかたき?とわかると、今度はこの犯人は精神的におかしい、変だといった論調にかわっていった。国民の感情も、「たかが犬で、なんで殺人なんかするんだ、信じられない。おかしなやつだ。」というものだったであろう。
しかし、思い出してもらいたい。「ペットも家族であり、大事にしなければならない。」と主張しつづけてきたのは、その国民だったはずだ。そして、それは世論となり、社会の常識となった。
国民やマスコミは、いったいペットをどう取り扱いたいのであろうか。もし家族の一員としてとらえるということはやはり行き過ぎだというのであれば、これまでの家族同様に云々の話は、もう終わりであろう。例え犯罪者に対してであろうと、都合のいいように現在の世論や常識をコロコロとかえながら人を批難していくことは、やってはいけないことである。国民やマスコミが、犯人をからかったり、犯人を遊びの対象?にしているとも感じられる(もちろん犯人は法律違反を犯し、尊い命を奪ったので悪いとは思うが、そのことと、国民が自分達の考えや社会的常識を、すでにある結論につなげるために好き勝手に変えていってもよいということとは別の話であろう)。
もしペットを、人間の家族よりある程度下の位置の家族ととらえるならば、そのように主張をしていかないと、整合性がとれなくなる。覚悟がないのならば、かっこをつけたり、正義感ぶる必要はない。ペットは人間より少し下!と本心を言えばよい。
ここ数年、物事を客観的にみたり自分が成長していったりするために一番重要なことは、「自分のことを知る」ということだろうと考えている。もちろん、今自分が仕事をし、生活をしている井戸の中だけで自分のことを知っても意味がない。つまり、質的にも量的にもできるだけ垣根をとりはらい、見聞を広めながらその中でよりよいものとは何かを考え、自分の頭の中で現実と理想を構築していく作業が、正しい批判力を高め、自分を成長させていくことにつながっていくのだろうと考える。「一生精進」ということだろう。
死にものぐるいで納めてきた年金は消え、非正規雇用者が物のように扱われいく。ひどい世の中だ。このブログで何を書いても、このブログによってこの世の中がよい方向に変るとは思わない。しかし、これからも書いていきたい。自分自身も、まず1歩を踏み出すために。