世界陸上の競歩で、審判の誘導ミスのために、日本人選手が失格となった。役員は謝ったが、救済措置は期待できないようである。
 はたして、口で「すいません」と発することは、責任をとることになるのだろうか。責任をとるというのは、もとの状態に戻すことである。しかし、タイムマシンがあるわけでもなく、現実にそれは不可能なことが多い。そこで、元に戻すことに見合う、代わりのことをする(あるいは与える)必要がある。そういうことが、責任をとるということなのではないのだろうか。
 何をやっても、「ごめんなさい」を発すれば許される、といったことは、もう終わり!