欽ちゃんが、今まで見たこともないような苦しそうな顔で走ってる。個人的には、欽ちゃんのこのような姿を見たくなかった。その姿を見て、武道館の芸能人も泣き顔になっている。これは、こうなるように計画され、そのとおりに実行されているものだ。作られた感動である。
 24時間テレビで、このマラソンを行っている理由がどうしてもわからない。がんばっている姿をみんなで見て、仲良く泣き合おうというのだろうか。「感動」とは意図的に作られるものではない。自然に起きるものだ。「いや、欽ちゃんは100km走るぞ!という目標に向かってがんばって走っているんだ。」というなら、なぜこの24時間テレビでそれをやろうとするのだろうか。その目的は、なんとしても感動を作り出さなければならないからではないだろうか。感動とはそういうものだろうか。私は恥ずかしくて見ていられず、しかたなくチャンネルを変えた。
 以前は、欽ちゃんが元気よくみんなに募金を呼びかけたものだ。計画的なお涙頂戴マラソンではなく、以前のように、笑顔で元気に、「募金頼むよ~!」と車の上から手を振りながら叫んで原宿などを移動してほしい。そのほうが自然だし、見ていて「よし、募金しよう!」とか、「私も来年はボランティアで協力してみたい!」と思うのではないだろうか。日本テレビは違う方向に走っている。