教員には、初任者研修や十年目に受ける十年研修などがある。どちらも数回のものではなく、1年間に何度も行われる。
十年研の内容は、都道府県や市町村によって異なると思うが、指導案を書いたり、授業を行ったり、資料を作成したりとけっこうハードのようである。
私は、年に数十回の十年研は、このような技術研修ではなく、おごり自信に満ちた気持ちを改めるための研修にしてほしいと願っている。十年目になると、教師は自分の考え(それが適切であろうとなかろうと)に合わないものに対しては、いちいち文句を言ったり、舌打ちをしたりするようになってしまう。しかも、それが次第に多くなり、王様(あるいは女王様)気取りになっていく。十年研で技術指導を先行させると、ゆがんだおごりを助長させ、ますます元気な反抗期の先生を作り上げてしまう。そんな研修はいらない。
教育事務所では、初任者の時のような「誠実で謙虚な気持ち」で子ども達や周囲の先生方、保護者や地域の人たちに接する気持ちを取り戻させること、ただ一点に、数十回の十年研修を使ってほしい。この気持ちがあれば、指導本や教育本を読んだり、全国のすばらしい実践者の授業を見たり、研修会に出かけたりして、謙虚に一人で黙々と技術や考え方を磨いていくはずである。
謙虚になってもらうことなんて、一回講義研修で話せば良いなどと思っている事務所の人はいないだろうか。もし年に十数回の研修を全て誠実で謙虚に、そしてまじめに教育にあたっていく人にする研修内容を組んだとしても、十年間かけて一生懸命に身につけた傲慢さをなくすことなんて実際はできないだろう。だから、事務所では、「やるとしても数回だけ。」などと思わず、十数回がんばるだけはがんばって取り組んでもらいたい。
もしそれができたとしたら、十年研を受けた教師はすばらしい教師となって現場に戻ってきて、その後、人格的にも技術的にもどんどん成長していくことであろう。
十年研の内容は、都道府県や市町村によって異なると思うが、指導案を書いたり、授業を行ったり、資料を作成したりとけっこうハードのようである。
私は、年に数十回の十年研は、このような技術研修ではなく、おごり自信に満ちた気持ちを改めるための研修にしてほしいと願っている。十年目になると、教師は自分の考え(それが適切であろうとなかろうと)に合わないものに対しては、いちいち文句を言ったり、舌打ちをしたりするようになってしまう。しかも、それが次第に多くなり、王様(あるいは女王様)気取りになっていく。十年研で技術指導を先行させると、ゆがんだおごりを助長させ、ますます元気な反抗期の先生を作り上げてしまう。そんな研修はいらない。
教育事務所では、初任者の時のような「誠実で謙虚な気持ち」で子ども達や周囲の先生方、保護者や地域の人たちに接する気持ちを取り戻させること、ただ一点に、数十回の十年研修を使ってほしい。この気持ちがあれば、指導本や教育本を読んだり、全国のすばらしい実践者の授業を見たり、研修会に出かけたりして、謙虚に一人で黙々と技術や考え方を磨いていくはずである。
謙虚になってもらうことなんて、一回講義研修で話せば良いなどと思っている事務所の人はいないだろうか。もし年に十数回の研修を全て誠実で謙虚に、そしてまじめに教育にあたっていく人にする研修内容を組んだとしても、十年間かけて一生懸命に身につけた傲慢さをなくすことなんて実際はできないだろう。だから、事務所では、「やるとしても数回だけ。」などと思わず、十数回がんばるだけはがんばって取り組んでもらいたい。
もしそれができたとしたら、十年研を受けた教師はすばらしい教師となって現場に戻ってきて、その後、人格的にも技術的にもどんどん成長していくことであろう。