浮浪者は社会のゴミだ!ということで、公園で寝ていた清掃作業員に火をつけて大やけどを負わせた若者が逮捕された。人は、それぞれの環境や事情の中で、精一杯生きている。むしろ社会のゴミは、法を犯して他人に迷惑をかける人だろう(実際は、そうとも言い切れないのであるが)。
話がずれてしまった。この記事で書こうと思ったことはこのようなことではなく、気になる言い方についてである。上の事件について、ある人がテレビで、「怒りを通り越して、悲しくなる。」と感想を述べていた。この言い方は、日常よく耳にするが、いつも違和感を感ずる。
この言い方は、何かひどい事件、残酷な出来事などを聞いた時に使うのだと思うが、私の場合、怒りの後に悲しみは来ない。ひどさや悲しさを感じ、それが怒りへとつながる。
怒りが悲しみになる人もごくまれにいることは想像できるが、一般的には、ひどい、悲しいという気持ちがまずあって、だから頭に来るという感情になっていくのではないだろうか。
話がずれてしまった。この記事で書こうと思ったことはこのようなことではなく、気になる言い方についてである。上の事件について、ある人がテレビで、「怒りを通り越して、悲しくなる。」と感想を述べていた。この言い方は、日常よく耳にするが、いつも違和感を感ずる。
この言い方は、何かひどい事件、残酷な出来事などを聞いた時に使うのだと思うが、私の場合、怒りの後に悲しみは来ない。ひどさや悲しさを感じ、それが怒りへとつながる。
怒りが悲しみになる人もごくまれにいることは想像できるが、一般的には、ひどい、悲しいという気持ちがまずあって、だから頭に来るという感情になっていくのではないだろうか。