突然、なぜか「火が燃える」という言い方はおかしくないだろうかと頭をよぎった。「火」は燃えたもので、燃えるのは、紙や木、ガス、灯油などである。しかし、「火が燃える」という言い方は、日常誰もが普通に使っている。正確には、正しい言い方なのか、やはり間違った言い方なのか、それすらもわからない。
文章を書いていると、どこに読点をうっても、私の思っていることを正確に表現できないことに気づくこともある(他の意にも、解釈できる文になる)。
日本語は難しいなあと感じた。(←)この一文にしても、これを見て「○○語はもっと難しい」と言う人もいるのだろう。自分の素直な思いとして言ったのであるが、分析してみると、自分は外国語と比較して日本語の難しさを言ったのではなく、自分の他の学習経験と比較して難しいと言ったのだろうと思われる。正確に伝えるとしたら、全ての誤解を防ぐための長々とした説明を付け加えた文章を書く必要がある。しかし、そのようにすれば、書いて伝えるということが非常に不便で面倒なものになるし、文の美しさや表現の魅力も半減してしまう。
多方面から冷静に見ると、日本語には、文法や表現、あるいは書く時、話す時の伝える手段として、まだまだ改良の余地があるように感じた。
文章を書いていると、どこに読点をうっても、私の思っていることを正確に表現できないことに気づくこともある(他の意にも、解釈できる文になる)。
日本語は難しいなあと感じた。(←)この一文にしても、これを見て「○○語はもっと難しい」と言う人もいるのだろう。自分の素直な思いとして言ったのであるが、分析してみると、自分は外国語と比較して日本語の難しさを言ったのではなく、自分の他の学習経験と比較して難しいと言ったのだろうと思われる。正確に伝えるとしたら、全ての誤解を防ぐための長々とした説明を付け加えた文章を書く必要がある。しかし、そのようにすれば、書いて伝えるということが非常に不便で面倒なものになるし、文の美しさや表現の魅力も半減してしまう。
多方面から冷静に見ると、日本語には、文法や表現、あるいは書く時、話す時の伝える手段として、まだまだ改良の余地があるように感じた。