校内研究とか教材研究、○○研究大会など、小学校や中学校の教員たちは、研究という言葉を日常語として多用する。しかし、その研究というのは、日本や外国のある小・中学校がすでに検証していることだろう。いや、他の学校で研究済みかどうかさえ調べずに、自分たちの思いや願いだけでやっているだろう。誰かがすでにやったことをやることは、新しいことを生み出したり、新しいことについて検証したりすることにはならない。つまり、小・中学校の教員がよく口にしている研究というのは、ほぼ全てといっていいくらい研究ではなく、自分が指導力をつけたり子どもたちによりよい指導をしたりするための「研修」である。
だから、小・中学校のほとんどの教員たちは、自分が新しい研究をし、学会誌に発表し、世界に発信できる力があるなんて、これっぽっちも思わないことである。本当の研究の仕方すら知らないであろう。知らないこととはいえ、自分のやったことがまったく新しいことで、世界に発信されていくなどと思ったり口にしたりすることは、とても恥ずかしいことである。
だから、小・中学校のほとんどの教員たちは、自分が新しい研究をし、学会誌に発表し、世界に発信できる力があるなんて、これっぽっちも思わないことである。本当の研究の仕方すら知らないであろう。知らないこととはいえ、自分のやったことがまったく新しいことで、世界に発信されていくなどと思ったり口にしたりすることは、とても恥ずかしいことである。