大きくて有名なお寺には、全国からお坊さんの修行を行うために人が集まってくる。お寺の息子や営業マンをやめた人、ニートだった人など、様々な人がやってくるが、目的は悟りをひらくことらしい。
お坊さんは、般若心経などの法典を引用しながら、立派なことを人に語る。あたりまえのこと(真理?)も含まれているが、作り話もあるので、まずくなれば幻想の世界の話に逃げ込める仕組みになっている。お坊さんの中には、悟りをひらいたと言われる人もいる。しかし、それは厳しい世間から隔離された、居心地のいい世界の中での話である。私は悟りをひらいたから、いつも心が平穏で、くよくよすることもなく、とらわれの気持ちもなく、いつも楽しく過ごしているよというお坊さんに言いたい。「証券会社か都市銀行の営業マンになってごらん!いつまでそう言っていられるかな!」と。
お坊さんは、我々だって毎朝早くおきて、寒い中掃除をしたり座禅をしたり、あるいは長時間歩いたり…、と言うであろう。しかし、厳しいというのは、柔道や空手の寒稽古のような肉体的に少し厳しいつらさであって、会社で毎日大勢の前で罵倒し続けられたり、ノルマのある営業の厳しさとは、比べ物にならない。
悟りをひらいたというお坊さんは、1度世間に出て、夜の10時に上司から「あと500万集めるまで絶対に戻ってくるな」といわれてみてほしい。井戸から出て、自分の本当の姿を自覚してほしい。お寺は、世間でやっていけない人が逃げ込む場所だと思う。言葉あそびはほどほどに。
お坊さんは、般若心経などの法典を引用しながら、立派なことを人に語る。あたりまえのこと(真理?)も含まれているが、作り話もあるので、まずくなれば幻想の世界の話に逃げ込める仕組みになっている。お坊さんの中には、悟りをひらいたと言われる人もいる。しかし、それは厳しい世間から隔離された、居心地のいい世界の中での話である。私は悟りをひらいたから、いつも心が平穏で、くよくよすることもなく、とらわれの気持ちもなく、いつも楽しく過ごしているよというお坊さんに言いたい。「証券会社か都市銀行の営業マンになってごらん!いつまでそう言っていられるかな!」と。
お坊さんは、我々だって毎朝早くおきて、寒い中掃除をしたり座禅をしたり、あるいは長時間歩いたり…、と言うであろう。しかし、厳しいというのは、柔道や空手の寒稽古のような肉体的に少し厳しいつらさであって、会社で毎日大勢の前で罵倒し続けられたり、ノルマのある営業の厳しさとは、比べ物にならない。
悟りをひらいたというお坊さんは、1度世間に出て、夜の10時に上司から「あと500万集めるまで絶対に戻ってくるな」といわれてみてほしい。井戸から出て、自分の本当の姿を自覚してほしい。お寺は、世間でやっていけない人が逃げ込む場所だと思う。言葉あそびはほどほどに。