そのまんま東氏が、宮崎県の次の県知事に選ばれた。彼は、県政や国政、市町村等の政治に一度も携わったことがない人である。宮崎では、「素人だからわかることがある」、「大学で地方自治を勉強してきた」という理由で選ぶとしたら、地方自治をちょっと大学で勉強した大学生であれば投票するということになるが(実際はできないが)、そんな馬鹿なことは無いだろう。リーダーシップに優れているとか、誰にも論破されない知識と論理性があるとか、先見性と判断力がすばらしいとか、そのようなものでもない。つまり、そのまんま氏が当選したのは、仕事で悪ふざけをやってきたり、未成年を買春したりして少し有名になっていたことが主たる理由であろう。悪ふざけといくつもの犯罪まがいの行動(出版社襲撃など)で名前が知られていなかったら、彼は当選していなかったであろう。今思うと、テレビでのマラソンも、このためのパフォーマンスだったのかと疑ってしまう。
そのまんま氏は別に悪くない。立候補するのは自由である。ただ全国の人々は、これから数十年にわたり、「宮崎」という名前を聞くたびに、そのまんま氏に投票した県民ということが頭に浮かび、嘲笑を持って宮崎県を見てしまうのが正直なところだろう。
最後にそのまんま氏に一言。公の立場でしかも若い者が、県民や国民全体に対して「かわらんといかん」や「やっていかにゃならん」という言葉遣いは、社会人としてやめたほうがよい。宮崎の方言だとしたら、今まで使っていなかったそのまんま氏が急に使うことに、選挙活動での街頭演説で見せる涙ぐむパフォーマンスとともにいやらしさを感じる。この言葉一つからも、そのまんま氏の意識、考え方、歩んできた道が見える。
宮崎県民は、芸能のプロにすっかりやられてしまった。
そのまんま氏は別に悪くない。立候補するのは自由である。ただ全国の人々は、これから数十年にわたり、「宮崎」という名前を聞くたびに、そのまんま氏に投票した県民ということが頭に浮かび、嘲笑を持って宮崎県を見てしまうのが正直なところだろう。
最後にそのまんま氏に一言。公の立場でしかも若い者が、県民や国民全体に対して「かわらんといかん」や「やっていかにゃならん」という言葉遣いは、社会人としてやめたほうがよい。宮崎の方言だとしたら、今まで使っていなかったそのまんま氏が急に使うことに、選挙活動での街頭演説で見せる涙ぐむパフォーマンスとともにいやらしさを感じる。この言葉一つからも、そのまんま氏の意識、考え方、歩んできた道が見える。
宮崎県民は、芸能のプロにすっかりやられてしまった。