文部科学省は、「いじめ」の定義について、拡大する見直し案をまとめた。これまでは、「一方的」「継続的」に肉体的、精神的苦痛を感じているものであったが、「一方的」と「継続的」という言葉はなくなり、本人が精神的苦痛を感じているものは、「いじめ」と捉えるというものである。
 私は文部科学省とは考えが逆で、定義の内容をもっと具体的に、かつ狭く絞り、その線を越えたものについてはきちんとした指導や厳しい懲戒を積極的に加えることが大切であると考えている。
 この見直し案が実行に移されると、「俺もいじめられた!」「おれもおれも!」とちょっとしたことで怒ったように声を張り上げて訴える子どもが爆発的に出てきてしまいそうだ。さらに親達も便乗してきて大騒ぎになり複雑化する可能性もある。「俺も(自分がいじめた人から)嫌な思いをさせられた」といじめた側にいいように「いじめ」を使われてしまう心配もある。
 行為の程度に関係なく、「本人が精神的に苦痛を感じればいじめ」では、非常にまずい。冗談やユーモアにも恐れを感じ、子ども達がお互い監視の目を光らせ、笑顔が消え、びくびくしながら窮屈に生活することにならなければよい。