今のいじめ問題に関して、「もう学校には任せておけない」「我々親が子どもを守ってやらなければ誰も守ってくれない」「親たちが子どもの少しの変化も見逃さないでよく話を聞いたり注視していなければ、いじめから自分の子どもを守ることが出来ない。学校はもうだめだ。」などといった発言がテレビで紹介されていた。私も大賛成である。親たちは、自分の子どもなのだから、親としてきちんと教育をし面倒を見るべきだ。
ついでに、いじめは集団で行うことも多いので、いじめられる子どもの数倍の数の子がいじめる側として存在していることも忘れないでほしい(ほとんどといっていいくらいの子どもが、友達をからかったり冷やかしてわらったりしているだろう)あなたのお子さんは、いじめられているのではなく、他の子どもをからかい冷やかして、楽しく友達をいじめている可能性のほうが人数からみると高いのである。子どもから話を聞いたり子どもを注視したりして、自分の子どもが他の子どもに不快な思いをさせることを無くしてもらえれば、問題は解決する。学校はだめなので、親たちにお願いしたい。
それからもう一つ、子どもは1人や家族といる時と、集団の中にいる時とでは変わってしまうことが多いことも知っておいて、親たちは家庭で指導に当たってもらいたい。おうちではとてもいい子であるが、集団の中に入るととんでもなくなる(集団生活に順応できない)子どもは非常に多いものである(特に一人っ子で、家庭で自己主張ができるためにうちの子どもは頭がいいと親が思いこんでいる子どもに多いので要注意である)。
ここまで読まれて気がついたと思うが、学校だけでは全てを解決することは出来ないのである。それなのに全て学校の責任だのごとくいうのは間違っている。記者会見で学校側が話を2転3転することを非難しているとしたら、それは不誠実だからではなく以前にこのブログで書いたような理由からだと思う(真実はわからないが私の経験上そうであるし、私の言う理由を完全に否定することもできないであろう)。
大切なのは、学校だけが一生懸命にやることでも、家庭だけが一生懸命にやることでもない。学校での教育は、少しではあるが専門教育を受け免許を所得した教員が法律や規則にのっとり、教育的観点から一応行っているので、基本的には教員に任せ、親は教員や学校の悪口ばかりいってないで学校に協力するという姿勢が一番大事である。そして、お互いに情報提供をしながら謙虚にそれぞれの場で指導にあたったり、学校と親が話し合いを密にして両者で仲良く(変な言い方であるがこの表現がぴったりである)一丸となってそれぞれの場で教育にあたっていくことが必要である。
両者の不一致は、子どもに隙や誤った認識を与えてしまい、何のプラスにもならない。
ついでに、いじめは集団で行うことも多いので、いじめられる子どもの数倍の数の子がいじめる側として存在していることも忘れないでほしい(ほとんどといっていいくらいの子どもが、友達をからかったり冷やかしてわらったりしているだろう)あなたのお子さんは、いじめられているのではなく、他の子どもをからかい冷やかして、楽しく友達をいじめている可能性のほうが人数からみると高いのである。子どもから話を聞いたり子どもを注視したりして、自分の子どもが他の子どもに不快な思いをさせることを無くしてもらえれば、問題は解決する。学校はだめなので、親たちにお願いしたい。
それからもう一つ、子どもは1人や家族といる時と、集団の中にいる時とでは変わってしまうことが多いことも知っておいて、親たちは家庭で指導に当たってもらいたい。おうちではとてもいい子であるが、集団の中に入るととんでもなくなる(集団生活に順応できない)子どもは非常に多いものである(特に一人っ子で、家庭で自己主張ができるためにうちの子どもは頭がいいと親が思いこんでいる子どもに多いので要注意である)。
ここまで読まれて気がついたと思うが、学校だけでは全てを解決することは出来ないのである。それなのに全て学校の責任だのごとくいうのは間違っている。記者会見で学校側が話を2転3転することを非難しているとしたら、それは不誠実だからではなく以前にこのブログで書いたような理由からだと思う(真実はわからないが私の経験上そうであるし、私の言う理由を完全に否定することもできないであろう)。
大切なのは、学校だけが一生懸命にやることでも、家庭だけが一生懸命にやることでもない。学校での教育は、少しではあるが専門教育を受け免許を所得した教員が法律や規則にのっとり、教育的観点から一応行っているので、基本的には教員に任せ、親は教員や学校の悪口ばかりいってないで学校に協力するという姿勢が一番大事である。そして、お互いに情報提供をしながら謙虚にそれぞれの場で指導にあたったり、学校と親が話し合いを密にして両者で仲良く(変な言い方であるがこの表現がぴったりである)一丸となってそれぞれの場で教育にあたっていくことが必要である。
両者の不一致は、子どもに隙や誤った認識を与えてしまい、何のプラスにもならない。