いじめによる自殺予告の手紙が文科省に届き、緊急記者会見を行っていた。内容や論理性、文章構成など、どれをとってもすばらしいと思えるくらいよくできた手紙だった。口調なども子どもらしくない。この手紙は、大人が書いたのではないだろうか。字だけは子どものように整っていないが、わざとそのように書いたように見える。
 内容は、学校や教育委員はなぜいじめを止めてくれないのかといったような内容である。いじめの全責任は学校側にあるような書き方は、連日繰り返されているマスコミ報道の意に沿ったものだ。書いたのは教員や教育関係者ではなく、子どもを持つ親であろう。親、しかも家にいる母親が、学校に総点検をしてもらいたくて、やった可能性がある。 
 小学校に入学してくる子どもを見るといろいろな子どもがいる。それを見ると、小学校に入るまでの5,6年間の家庭での教育が、子どもに非常に大きな影響を及ぼすことがわかる。同じ家庭なので、子どもが小学校や中学校に行ってからも、その教育方針や親の養育態度はあまり変わることはない。子どもの人格や性格を形成していくのは親(家庭)といっても過言ではない。
 しかし、現在は筆記重視で教員を採用していくために、たまにまずい性格の教員も採用されてくるのは事実である。1次試験は面接なしで筆記だけの県もあるし、数十分の面接では人の性格などはわからない。当然のことながら、ほとんどの受験者が普段の自分ではない立派な演技をして面接を受ける。今の試験制度に問題があるのであるが、その議論はほかに譲るとして、ユーモアと勘違いをして子どもをからかったり、子どもの友達のように振舞ったりする教員も確かにいる。自殺予告の手紙は大人が書いたものだとしても、全ての学校にもう一度注意を促すことになった。
 でも、念のため親たちに言っておくが、教師がいじめを全て発見できるわけではない。子ども同士の会話ややり取りを全て把握できるとは限らないのである。教師は常に子どもと一緒にいるわけではなく、しかも多くに子ども達がいる。子ども同士で意地悪やからかいをする時は、当然子ども達は教師に隠れてやる。子どもの心理もあり、いつも他の子どもが教師に報告してくれるわけではない。喧嘩で怪我をしたり物が壊れたりしてはじめて教師がわかり指導するということが普通である。学校に子どもを送り、そこで事件が起きたのだから、全て学校のせい、教員のせいとされたらたまったものではない。教員や学校には限界がある。最大限の努力をする必要はあるが、生まれてから成人するまで家庭でも子育ての勉強をしながらできる限りの注意と努力をはらって人間教育を行ってほしい。教育は基本的に学校にまかせ、食事や生活など子どもの世話はするが自分達は教育を放棄し、何かあったときだけ慰謝料目当てのごとくワイドショーのインタビュアーにあおられながら学校に責めてくる。マスコミも親も、学校攻撃で一生懸命である。問題の本質に専門的視点で迫っているとは思えない。
 子ども達の学校や教師への信頼が全国的に弱まることが心配である。指導効果が低下し、子どもはますます勝手なことをする。親もその子どもをかばうように、同調して的外れな言動をしてくる。今の日本の外交と同じように、教育問題もマスコミを中心としてトンチンカンなほうに進んでいるように思える。マスコミにも言っておきたい。マスコミは、あおるだけあおり、盛り上がりが終わったら逃げるのではなく、ここまでやるのだったら、専門的な結論がでるまで、日本の教育(家庭教育や学校教育、地域教育、道徳教育、奉仕についてなど)の在り方、教員採用試験や教育制度などが決まるまで、最後まで責任を持ってほしい。教育は国のあり方にかかわる重要なことなのである。感情論や感覚的な議論、視聴率を上げる手段になることなどとは離れて扱われるべきものである。