ライブドア社長の平松氏が、「やまない雨とはれない曇り空はありません。」とかっこよさそうな言葉を使っていた。だから、ライブドアもいずれ良くなるであろうという論理であろう。これを聞いた多くの人々は、「確かにそうだ、ライブドアもいつかは良くなるだろう!」と思うのかもしれない。
しかし、この論理はまやかしである。それを使った平松氏は、不誠実か感覚で物を話す人である。この空についての説明は、確かにその通りである。今の気候や自然環境が劇的に変化しない限り、雨は必ずいつかは止み、曇り空は必ず晴れる。しかし、空の成り行きと、会社の成り行きが同じように推移するという根拠は全く無い。それにもかかわらず、このような話し方は、説得力のある論理と化す。
「○○だから、こうである。」という論法はだれでもよく使う。しかし、○○だから、という前提部分そのものの事実認識が間違っているので、結論も正しくないことがあることは以前にも述べたが、今回の平松氏の発言のように、前提そのものは正しいが、前提と結論をつなげるには無理があり、したがってそれに導かれる結論にも確たる正統性が無いという場合がある(偶然当たるかもしれないが)。
相手の説明や説得、考えなどを聞く際、前提そのものが正しいか、また前提と結論の関係はおかしくないかという2点について気をつけて聞く必要がある。
しかし、この論理はまやかしである。それを使った平松氏は、不誠実か感覚で物を話す人である。この空についての説明は、確かにその通りである。今の気候や自然環境が劇的に変化しない限り、雨は必ずいつかは止み、曇り空は必ず晴れる。しかし、空の成り行きと、会社の成り行きが同じように推移するという根拠は全く無い。それにもかかわらず、このような話し方は、説得力のある論理と化す。
「○○だから、こうである。」という論法はだれでもよく使う。しかし、○○だから、という前提部分そのものの事実認識が間違っているので、結論も正しくないことがあることは以前にも述べたが、今回の平松氏の発言のように、前提そのものは正しいが、前提と結論をつなげるには無理があり、したがってそれに導かれる結論にも確たる正統性が無いという場合がある(偶然当たるかもしれないが)。
相手の説明や説得、考えなどを聞く際、前提そのものが正しいか、また前提と結論の関係はおかしくないかという2点について気をつけて聞く必要がある。