20~30年ほど前に、人を指す「明るい」とか「暗い」という言葉が生まれたと思う。そして、明るいのは良く、暗いのはだめとなった。元気な子ども達は、おとなしい子どもをからかうための1つの手段として用いるようになった。露骨にからかわなくても、陰で「あいつは暗いやつだな。」と悪口を言われるようにはなった。うるさくない、落ち着いた雰囲気の子ども(だけではなく、30歳くらいまでの人だろうか)が、安心できない社会になってしまった。
この「明るい」とか「暗い」とは、いったい何なのだろうか。大人は、40才過ぎあたりから落ち着いてきて、はしゃいだりしなくなる。銀行の頭取はまじめでしっかりしており、普通以上に元気を出して話しまくったりはしない。これらも、暗いということなのだろうか。お年寄りはみんな暗いのだろうか。どうもよくわからない。
教師は、せめて子どもに対しては、「暗い」などと言ったり思ったりしないでほしい。人を指す「明るい」、「暗い」という言葉は、今の社会からなくして、これからは、例えば「暗い」を「おちついている」、「慎重である」とし、「明るい」を「活発である」、「声が大きくよく話をする」などというように、どちらのタイプとも「悪」を連想させない表現にしたいものである。
この「明るい」とか「暗い」とは、いったい何なのだろうか。大人は、40才過ぎあたりから落ち着いてきて、はしゃいだりしなくなる。銀行の頭取はまじめでしっかりしており、普通以上に元気を出して話しまくったりはしない。これらも、暗いということなのだろうか。お年寄りはみんな暗いのだろうか。どうもよくわからない。
教師は、せめて子どもに対しては、「暗い」などと言ったり思ったりしないでほしい。人を指す「明るい」、「暗い」という言葉は、今の社会からなくして、これからは、例えば「暗い」を「おちついている」、「慎重である」とし、「明るい」を「活発である」、「声が大きくよく話をする」などというように、どちらのタイプとも「悪」を連想させない表現にしたいものである。