不祥事の責任を取って、会社の社長などが辞任をするというニュースをたまに見かける。一方、今の職にとどまって、信頼回復に向けて努力することが責任ある行動であると思うなどといって、社長を辞任しない人もいる。日本では、どちらも通用する。はっきりいえば、どうでもいいのだろう。そもそも仕事をやめることがなんで責任をとることになるんだろう。世の中には病気や自己向上のために退職する人はたくさんいるが、その行為と責任をとる行為が同じということがよくわからない。辞めた社長は大学などに行きなおして自己向上ができると思ったり、趣味に没頭できると思ったり、休みになると思ったりして、内心大喜びをしているかもしれない。辞任は責任を取ることになるのだろうか。
 このように書くと、評論家と同じで、改善策がないと言ってくる人がいる。改善策を示すことだけがプラスなことと思わない。問題提起をし、国民の多くがそれについて考え、議論が広がっていくきっかけになる可能性があるとしたら、いいかげんな改善策が示されていなくても意義や効果は大きい。
 最近、言葉遊びや詭弁、ごまかし、矛盾、はったりなどに触れることが多く、国会での証人喚問を見たりこのブログに投稿されるコメントを見たりすることにむなしさを感じる今日この頃である。