高市早苗氏が首相に就任した瞬間、保守層の一部には「信念の政治家がついに国の舵を握った」との期待が広がった。だが、その政権の実像を追えば追うほど、浮かび上がるのは麻生太郎氏の影と、古びた派閥政治の構造である。

 麻生氏は自民党内で長年にわたり権力を保持し、派閥の論理と資金力を駆使して政局を操ってきた。高市氏の首相就任も、麻生派の全面的な支援と、他派閥との水面下の調整の産物であり、彼女自身の政治的信念が貫かれた結果とは言い難い。

政権発足後、高市氏が掲げていた積極財政や情報通信分野の革新は、次第に後景に退き、麻生氏の保守的な路線が前面に出るようになった。重要ポストには麻生派の議員が次々と配置され、政権の中枢は事実上、麻生氏の影響下にある。高市氏が自らの意思で政策を決定しているのか、それとも「操られている」のか――その問いは、国民の間に静かに、しかし確実に広がっている。

 さらに、政権を取り巻く議員の中には、政治資金の不透明な流れ、いわゆる「裏金」問題に関与したとされる者も少なくない。こうした人物たちが政権の意思決定に関与していることは、国民の政治不信を一層深めている。高市氏が本来持っていた「クリーンな保守」のイメージは、派閥と金権体質に囲まれることで、徐々に色褪せつつある。

 高市氏自身は、かつて「信念を貫く政治」を標榜していた。しかし、今の政権運営を見る限り、その信念は派閥の論理と資金の力に押し流されているように映る。彼女が本当に自分の意思で政治を動かしているのか――その答えは、政権の言葉ではなく、行動によって示されなければならない。

 政治とは、理念と現実のせめぎ合いである。だが、理念なき現実迎合は、やがて国民の支持を失う。高市政権が「麻生氏のマリオネット」という評価から脱却するためには、派閥の重圧と裏金体質に真正面から向き合い、自らの言葉で国民と対話する覚悟が求められている