今日、テレビで、ユニクロの海外人材の教育について
放送しているのを見て、夏目漱石を思い出した。
現地社員を幹部候補として日
本で日本流のホスピタリティを教える。
すごいな、と思ったのが、アメリカ人の社員が、
「世界どこに行ってもワンウェイ、同じ質のサービスを提供する」
という、その目的をちゃんと話していたこと。
日本のグローバリゼーションというと、明治の文明開化が思い当って、
それを漱石が「上滑りの開化」と酷評していたのを思い出した。
今までは、さすが漱石先生! と思っていたけれど、
鎖国からの開化だったら、まずは取り入れてみる、というところで
許してもよいのではないか、とちょっと思った。
前にベトナムにいったとき、ガイドさんが目を輝かせて
ベトナムもいつか日本みたいな国にしたいんだ! と話していた。
同じアジアの小さな国が世界の列強と肩を並べる、というところに
シンパシーを感じたのだろうか。
もしくは歴史的な関係性だろうか、または民族性だろうか。
何にせよ、自分がその日本に住んでいる日本人であるのに、
おそらく彼にとっての日本人ではないと思って、
喜びというよりも、恥ずかしいような、申し訳ないような、
何とも言えない感情になったのを覚えている。
そんな小さなことでも、世界を知ると、改めて「日本」というものが
見えてくる。
その上で、日本や自分たちの強みは何か、
その強みは、世界のどこで活かせるか、
その強みを、世界でどのように、どんな方法で開花させるか、
そこまで思い至らなければ、グローバリゼーションは上滑りしてしまうんだなーと思った。
以前、日本の老舗旅館が、台湾で現地の仲居さんを教育する、という
のも見たことがあるけど、それは見るからにうまくいかなそうだった。
中華圏という難しさもあるけど、目的の共有ができる前に、
実践、実践で、もちろん文化が違うから、やらされてる感が満載だった。
日本のスタッフも、現地のスタッフも、お互いの本当のところが
うまく意思疎通できていないようだった。もったいない。
今は、どうなっているかはわからないけど、よくなっているといいな、と思う。
こんなに開かれた世界。のように見える閉ざされた世界。
広い世界はもちろん、もっともっと狭い世界でも、
明治の文明開化状態や、
皇民化運動状態になってしまうことが、
往々にしてあるような。
「え…あ…、そうですか。」