和歌山県九度山町

慈尊院



弘法大師、空海さんは月に九度

高野山からお母さんに会いに来られました



そうしたことがこの地の

由来になったと言う説があります




慈尊院山門と多宝塔








香川県から

我が子空海を訪ねて来られたお母様



当時高野山は女人禁制

こちらで過ごされることとなりました



お亡くなりになった時

ご本尊、弥勒菩薩に化身したと信仰され



女人結縁の寺と知られるようになり

女人高野とも呼ばれています





乳癌平癒の祈願でも有名です








さて前回

船着き場を降り立った人達がきっと

目にしただろう下乗石



↓赤丸ですが

この古地図でも分かるように







かなり背の高い物

3メートル以上の高さがあったそうですよ



この下乗石自体は

1136年(保延二年)平安時代後記に建立という記録があり



非常に歴史を感じさせる遺産です





さぁ、今から一緒に見にいきましょう足あと




信号の奥が船着き場

ピンクの丸が下乗石跡地碑







くるりと踵を返すと➰

この突き当たりが慈尊院です



皆さん

この画像を覚えておいて下さいね↓







そしてありました!

ピンクの丸で囲んだところに下乗石の本物です



跡地からここへ

(何故なのでしょう? それは後ほど…)







上部だけが残されていました






このことですね






残念ながら風化が進んで

看板の下部読めなくなっているのですが



天文九年(1540年)に紀の川の大洪水があり

下乗石は流出してしまい



残った上部だけが移設されました



その時この慈尊院(村)も洪水にのまれて流されて

大きな被害を受けた後



今ある位置に移動したと思われます







分かりますか?

平安時代から室町戦国時代あたりまでは



紀の川沿い、今で言えば

県道4号線のすぐ南の住宅地(先ほどの画像)の辺りが




慈尊院(村)であったと思われます





次回は慈尊院からそこを抜けて

丹生官省庁符神社



そこにある道標

百八十町石を見に行きましょう




宜しければいちごとご一緒してね




皆さんの毎日が幸せであります様にクローバー






前回の分ですが

一応貼り付けておきますね