蘇武橋の袂の
榎の木に誘われて


前回、江戸の町割に
足を踏み入れましたがペンギン


今回の舞台は戦国時代メラメラ


江戸から少しだけ時間を遡ります
付き合ってねうさぎクッキー



奈良県橿原市今井町





まず私達は
イラストマップを頂く為に
夢甍(観光案内所)へ


歴史に興味のある方は
是非お寄り下さいね


資料等豊富で
散策にとても役立ちます



夢甍チューリップオレンジ




こちらは明治時代の建物です
県指定文化財



ここから前回の続きになります



カエルカエルカエル



織田信長と
本願寺、一向宗が対立した為


一向宗の拠点として起こった
寺内町である今井町も信長と敵対します


濠を深くし
土塁や筋違いの道を作り


虎口を構え
惣年寄の長の今西家を城構えにして
対抗しましたがドンッ


天下人の勢には
抗えないということでしょうか?富士山


本願寺の降伏に伴い
交流の深かった堺の豪商や
明智光秀の取りなしで武装放棄し



光秀の書状





その後、信長から朱印状が付与され
赦免されました


この経緯には
今井町出身の堺の茶人、今井宗久と


当時大きな力を持っていた
堺の豪商で茶人の津田宗及の力が大きく


特に信長、光秀と強い繋がりのあった
宗及の取りなしが功を奏しました


武装解除を条件に許された上に
信長は「萬事大坂同然」という
自治権のお墨付きまで与えたのですチューリップピンク



天下布武の印のある、信長の朱印状





何故、信長がそれだけ
別格で寛大な扱いを今井に行ったのか?


当時あの堺と
連携、交流が盛んだったこの町には


それだけの魅力があったのだろうと


イチゴは私感ですが
そう感じていますチューリップ紫


秀吉の世になっても
自治都市としての特権を持ち続け


秀吉、吉野詣での途中
今井町の茶室で接待云々の記録の残るほど


世の権力者との
強い結びつきがありました桜





こちらのみお借りしています



戦国時代に名を馳せた
名だたる人物との関係はこの町に 


“今井千軒”
“海の堺、陸の今井”


そう言われる程の繁栄をもたらしました


(経済的に豊かになった町は
茶道、花道、能楽、和歌、俳諧といった
文化・文芸にも通じました)



次回はイチゴと江戸の町並を
宜しければご一緒に


じゃあまたねいちご



皆さんの毎日が
幸せであります様にクローバー



(夢甍内の写真の撮影は許可を頂きました)