以前、廿五里(ついへいじ)の記事を書きました。
鎌倉から、25里、と言う事から付いた地名なんですが、
千葉と鎌倉は、結構縁が深いのです。
木更津には、「鎌倉街道」がある と聞き、ビックリしました。
小4の先生に、校外で色々教えていただきました。
この先生のお陰で、社会科に興味を持ったのかもしれません。
鎌倉街道と言うのは、
源頼朝が、鎌倉に幕府を開く。
「いざ、鎌倉」の道として、又、物資輸送の為にも使われた。
常陸国・安房国・上総国から、下総国に出て、武蔵国から、
鎌倉に至る道を、「房総道」と呼んでいました。
一方、安房国から相模国の三崎・浦川湊(浦賀)を経て、
鎌倉に至る道や、立野・野田(千葉市)を経由して、木更津から
海を渡り、六浦湊から鎌倉へ通じる道をこう呼んでいました。
頼朝が鎌倉幕府を開く際にも、千葉氏の力が有ったからです。
治承4年(1180年)8月に、挙兵した源頼朝は、失敗し、
三浦半島から安房国竜島へ、敗走する。
上総介平広常は、2万騎の兵を従え、下総国府で300騎の兵を率いる
千葉常胤と合流し、頼朝の下へ馳せ参じる。
こうして頼朝は力を得て、三浦半島に戻り、常胤と広常の
進言に沿って、鎌倉に幕府を開く。
挙兵から、僅か40数日後の事である。
廿五里との関連は、この付近に東泉寺という小さな寺があり、
その寺の繍佛が、不思議な力が有る と言うことで、頼朝の使いが
毎月参った その距離が、鎌倉から25里と言うことで、
この地名になったと言われています。
(東泉寺の石柱)
(堂の脇に、掛けられた説明文)
(小さな堂) 境内の片隅に、古い仏塔や、墓石が並んでいました。
それだけが、歴史の古さを感じさせます。


