そろそろ中学時代に入る。
中学校は丘の上に建っていた。坂道は一寸キツカッタ。
原動機付自転車に乗ってくる先生がいた。
いつも坂の手前から、テケテケと音のするエンジンと共にペダルを漕ぎ出す。
助走をつけて坂を上っていくのだ。
「テケテケ」と言うニックネームがつけられていた。
坂の脇には小さな墓地があり、部活で遅くなった時など気持ち悪かった。
我々の学年は6クラスだった。小学校時は5クラスだったが、
もう一つ田舎の小学校と一緒になり1クラス増えた。
1クラス50人前後だった。
家は5年生の頃、海よりの漁師町に小さな家を建て、移り住んだ。
町なか(一応)から来て、言葉の荒さに驚いた。
しかし小舟に乗せてもらったり、パンツのまま海にいけるのは良かった。
クラブは卓球部に入った。家に兄貴のラケットがあったのと、
小さな俺でも卓球ならできると思ったからだ。
卓球台は3面ぐらいあったと思うが、1年生は素振りと、
ランニングと苦手なうさぎ跳びの毎日だった。
仲間に小児麻痺で片足の小さい奴がいた。陽気で、頑張り屋だった。
中学校は丘の上に建っていた。坂道は一寸キツカッタ。
原動機付自転車に乗ってくる先生がいた。
いつも坂の手前から、テケテケと音のするエンジンと共にペダルを漕ぎ出す。
助走をつけて坂を上っていくのだ。
「テケテケ」と言うニックネームがつけられていた。
坂の脇には小さな墓地があり、部活で遅くなった時など気持ち悪かった。
我々の学年は6クラスだった。小学校時は5クラスだったが、
もう一つ田舎の小学校と一緒になり1クラス増えた。
1クラス50人前後だった。
家は5年生の頃、海よりの漁師町に小さな家を建て、移り住んだ。
町なか(一応)から来て、言葉の荒さに驚いた。
しかし小舟に乗せてもらったり、パンツのまま海にいけるのは良かった。
クラブは卓球部に入った。家に兄貴のラケットがあったのと、
小さな俺でも卓球ならできると思ったからだ。
卓球台は3面ぐらいあったと思うが、1年生は素振りと、
ランニングと苦手なうさぎ跳びの毎日だった。
仲間に小児麻痺で片足の小さい奴がいた。陽気で、頑張り屋だった。