幼年時代にも触れたと思うが、親父は米軍で働いていた。
MPと言って、いわゆる門番だ。親父に正確な身長を尋ねた事は無かったが、
150センチあるかないかの、日本人でも小男であったが、
アメリカ兵には人気があったようだ。
思い出すのは、クリスマスの終わった後大量の残飯を持って帰るのだ。
残飯と言っても、その日のうちで綺麗に缶に仕分けて持って来るので、
問題なく食えた。肉の塊(勿論調理済み)、ハムがたっぷり入ったサラダ。
本当に旨く、楽しみだった。当日は、教会に招待された。
訳の解らない礼拝の後、ゼリーやクッキーなどのお土産に大喜びだった。
もう一つ得したのは、基地の中の埠頭で釣りが出きることだった。
一般人は入れず、又兵士もハゼなどは知らないので、誰も釣りはしないのだ。
夏から秋にかけて大型のハゼが入れ食い状態なのだ。
その晩の天ぷらになったり、正月のハゼの甘露煮になった。
街中を走る国産車は、少なかったが、兵士の運転するデッカイ車は、
パワステなのだ。指先でハンドルを切るのだ。
(当時は勿論パワステなど知らなかったが)
困ったのはジェット機の離着陸の騒音だ。始まると授業に集中できなかった。
現在の、沖縄・他基地の騒音問題は良く理解できます。
しかし段々と縮小され、自衛隊に引き継がれていった
(日本人も定年か、整理されていった。)
MPと言って、いわゆる門番だ。親父に正確な身長を尋ねた事は無かったが、
150センチあるかないかの、日本人でも小男であったが、
アメリカ兵には人気があったようだ。
思い出すのは、クリスマスの終わった後大量の残飯を持って帰るのだ。
残飯と言っても、その日のうちで綺麗に缶に仕分けて持って来るので、
問題なく食えた。肉の塊(勿論調理済み)、ハムがたっぷり入ったサラダ。
本当に旨く、楽しみだった。当日は、教会に招待された。
訳の解らない礼拝の後、ゼリーやクッキーなどのお土産に大喜びだった。
もう一つ得したのは、基地の中の埠頭で釣りが出きることだった。
一般人は入れず、又兵士もハゼなどは知らないので、誰も釣りはしないのだ。
夏から秋にかけて大型のハゼが入れ食い状態なのだ。
その晩の天ぷらになったり、正月のハゼの甘露煮になった。
街中を走る国産車は、少なかったが、兵士の運転するデッカイ車は、
パワステなのだ。指先でハンドルを切るのだ。
(当時は勿論パワステなど知らなかったが)
困ったのはジェット機の離着陸の騒音だ。始まると授業に集中できなかった。
現在の、沖縄・他基地の騒音問題は良く理解できます。
しかし段々と縮小され、自衛隊に引き継がれていった
(日本人も定年か、整理されていった。)