すみませーん!
今日はスピ的な内容なので、苦手な方はスルーしてくださいね( ´∀`)
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今日は亡くなったワンコが家族になった記念日✨✨
誕生日も大切だけど、家族記念日ってちょっと特別だよね( ^ω^ )
新しいワンコ達と暮らすようになって、忙しいけど可愛くて、癒されて。
(しつこくて半分迷惑ベロベロ攻撃)
でも。
あの子が居ない寂しさは埋まるものでもなく。
寂しさが紛れるどころか、むしろ余計に思い出すものなんだなぁ‥って実感してる(⌒-⌒; )
思い出は15年で止まってしまったけど、ちょうど今日で16年。
楽しかった幸せな日々の方がずーーーっと長かったはずなのに
なんでかなぁーー
思い出すのは亡くなる間際や、最期の姿ばかりさー。ε-(´∀`; )
亡くなったのは今年の1月12日。
その日はたまたま旦那も休みだったので、結果二人で看取ることになった。
私のわがままだけど、どうしても看取りたかったからその願いは叶えてもらった。
でもね、
こんな事言うべきじゃないかも知れないけど
もしその日私だけだったら‥
感情のまま、その瞬間思いっきり泣けたのに。(これは旦那のせいじゃなく私のせい)
どこか悲しみが不完全燃焼のまま、蓋をしてしまった。
うわぁーん!!!って一瞬泣いたけど、なんでだろ、旦那の前で冷静でいなきゃ!っていう変な理性が働いてしまって。
でも、きっとあの子は‥
私が一人だったらパニックになると思い、あえて旦那のいる日を選んだんだろうって、そう勝手に受け止めていたんだ。
「だからその日だったんでしょ」って、心の中でワンコに語りかけながら、あの日を思い返していたら
「命の責任」
って言葉が、ポーンと入ってきた。
ええ???
「命の責任」って、
何ーーー?????
そしたら今度はどーーっと流れるように
「ママを頼んだよ」がひとつ、あともうひとつ。
「パパは最期まで見届ける責任があったから。」
って、胸に響いてきた。
ちとまてーーっ!!!
え、どーいう事???
私一人じゃ心配だからだけじゃなかったのっっ💦💦
意外な言葉にちょっとうろたえる。
そして落ち着いてよーーく考えてみたの。
あれ‥?? もしかして‥。
実は旦那は若い頃、一緒に暮らしていたワンコがいてね。(当時の流行りのワンコ)
最初はとても可愛がってたいたらしいけど、最後までちゃんと面倒を見ず手放した過去があって。
何でもドライな人なので、動物に関しても私との温度差は激しかった。
そして16年前。
ワンコを飼う!って決めたのも旦那。
そんな過去を踏まえて、
今回旦那は、あの子との生活で愛おしい存在や沢山の愛を学び、
最愛のあの子の命の尽きる瞬間を目の前で見ることで、命の尊さを学んだ。
(ちなみに旦那は人の死も動物の死も、目の前で看取ったのはあの子が初めてで「死」というものにかなりのショックと精神的ダメージを受けました)
過去の出来事のことも‥
きっとこの経験を通して気づくことがあったでしょう。
最期まで見届けたからこそ。
そうかー。
あの子は旦那の過去の出来事から「命の責任」を学ばせるお役目もあったんだ。
旦那の課題を、あの子は一緒に寄り添ってくれたんだな‥
そういうことだったんだ‥(´°̥̥̥̥̥̥̥̥ω°̥̥̥̥̥̥̥̥`)
もうね、ストーーーンって腑に落ちた。
そういう理由があったのなら、私一人じゃなくて良かったんだな、納得したよ。
今回保護犬を引き取るのは、当初一匹だけのつもりだったんだけど‥
2匹一緒に!!!
と言い出したのは、なんと旦那の方なのです。←なのにその2匹は全く懐かない笑
あの子からの学びのギフトは、
今こうして次へ託され生かされてる。
愛の循環よ。
ほんとぉーーーーーに動物って‥
どこまでも愛しかないんだよね。