会話の多くは反応である。

経験を深めた大人なら、あまり反応しなくて済むのかもしれない。

少なくとも、一般人は自分も含めて大半を反応して過ごしていると思う。

ただ反応というのはあまり価値がない。

予定調和だ。シンプルに2択、不快なら不快、快なら快。もちろん感情にバリエーションはあるが、大きく+か-かである。

 

何かの意志判断をする際に、自分の価値観に沿って未来を見据えた判断をする。

その時に周囲の人間の反応や、自分自身の反応すらも考慮するに値しない。

なぜなら反応を考慮した時点で先は見えてるからだ。

感情や反応は生活するうえで無視できないけど原始的なプログラムだ。

世の中を変えていくのは感情でなく理性的につくられた仕組みである。

もちろん今話しているのは個人的で短期でなく、もっと長期で全体の価値をという話である。

まあ結局個人の感情も社会の仕組みの中でつくられる側面があるけれど。

それでいて自分の感情は自分のものと確固たるものとして作っておかないと、俯瞰して見れない。

 

人間にはサイコパスでなければ共感の能力が備わっている。

相手の気持ちを汲み取れることは美徳でありつつも、そうではない。

長期的に考えた時にそれが正解か?

そもそもその状況は相手の気持ちを汲み取るに値するか?

そういうのは咄嗟に判断することはできない。

なので反応しないというのが最善解となる。

反応せず判断を保留し、あとできちんと検討する。

それも大いにあるが、常に判断を保留しては何も変わらないので、

これに対して取れる方法とは、あらゆる疑問に良く考えた回答をあらかじめ準備しておく。

時間がかかるが最も正解に近い。

一方で、そんなことをしてると何事も判断できなくなってしまうので

取り急ぎ相手に寄り添った不快にさせない回答をするというのがこれまでの私の正解である。

というか、ただ目の前の人を喜ばすためだけに反応してそうしていたというだけの話だが。

正解を出せない場合に、ただ何も出さないか何かしらを出すかといった時に、後者の方が好きだ。

 

ただ自分に必要なのは判断に迷った時には、まあ判断を保留しておく。無理に回答を出さない。

ただ、周囲の反応も自分の反応もそこまで重きを置かずに自分の思考を進めていくことに注力してみる実験をしてみる。

おそらく共感性はなくなるかもしれないが、表面的に言葉を発していることが共感であって、その回路は一旦保留として

論理の回路を動かしてみるということだと思う。