音楽とはどうもこう感覚に訴えかけてくるんだろうと思う。
感覚というと味覚・嗅覚・触覚・聴覚・視覚とある。
視覚からの情報量が一番多いが、その分視覚で感動するみたいなことは少ない気がする。
味覚は美味しいものを食べた時とても幸福な気持ちになるのでとても大きいが、感動して涙が出るといった体験は今までない。
嗅覚は例えば心地よい香水をつけた時、森の中にいる時、心地よさをもたらしてくれるが振れ幅は小さい。触覚も同様に感じる。
音楽は聞くだけで心の底から揺り動かされるような感覚がある。
私がたまたま聴覚優位なのだろうか?でもライブとか好きな人はたくさんいるし、多くの人にとって音楽の影響は大きいんじゃないかと思う。
私はインテリアデザインの仕事をしているので、まあ言わば視覚に訴えるようなものをつくる。(もちろん機能性などもあるが)
お洒落な空間は好きだし、建築も好きだし、それは良いのだが、なんだか限界をたまに感じるのである。
なぜかというと音楽ほど強く感覚を揺さぶられることがないからである。
居心地良い空間というのには閾値があって、そこを超えたらどれも似たような感じになる気がする。
それ以上に誰とそこにいるかとか、そういう他の条件も関わってくる。
そこで、音楽というのは絶対的にこの音楽が気持ち良いというのが存在する。
もちろん一つの曲をずっと好きというのでもなく一定期間経ったら移り変わるのだが、それでもこのリズムと音が猛烈に好きといったような。
音楽に対してはものすごく好きを追求していった結果の音をアーティストがつくったんだろうと分かる。
ただインテリアデザインはものすごく好きを追求した結果というより、なんとか個性を出そうとしたとか、これをしておくと快適とかそういう妥協みたいなものを他者にも感じてしまうのだ。それは自分の中にその感覚がないからだ。
他のデザイナーは自分の中にその感覚があるのだろうか?この組み合わせをするとものすごく気持ち良いといった。
そもそもインテリアデザインというのはかなり複雑だ。
例えばプロダクトデザイナーは、とても細かい造形や細部にこだわることができる。この曲面が美しいとか、ここをこうすると手にフィットするとか。
一方インテリアデザインとは部屋全体をコーディネートする。もちろん細部の話もあるのだがとはいえ全体の調和みたいなところがある。
でもそれに関しては音楽も同じだと思っていて、ボーカル・ベース・ギター・ドラムと各楽器が調和して作られる。
私はインテリアデザインで音楽ほど美しい調和を見たことがない。
もちろん居心地が良い、美しい空間というのはある。そこには心地よい空間の広さ、マテリアルの使い方、そこを使う人との距離感、照明の強さ、快適な空調や音環境そういったものが総合的にデザインされている。
ここでいう私のインテリアデザインの調和というのは、マテリアルの色や素材、それが複数あるといった調和である。それが美しく調和しているといった状態を見たことがない。
一つあるとしたらピーターズントーの空間かもしれない。あれはかなり要素をそぎ落として、マテリアルも単一だし、特定のものだけを扱ったものだと思う。
つまりインテリアデザインにおいて調和とは、ある程度そぎ落とさないとそもそも情報量が多くて扱えない。
だから完全に調和させたいとするとプロダクトに使われるマテリアルだって統一しないと難しいのだ(椅子・机・収納とそれぞれ違うマテリアルになってしまうとバラバラになる)
つまり完全に調和する空間とは、一般的なインテリアコーディネートで既製品をもってくるのでなく全て設計者が意図した造作でつくらなければならない。
だから、カリモクNSの青山ショールームのように全てカリモクの世界観で統一すると初めて「調和」する空間が生まれるのだと思う。
音楽が瞬発的に大きな感覚を訴えかけてくるとしたら、空間はもっと長期的に穏やかな感覚を訴えてくる。
多分音楽は日常的に様々なものに接することができるけど、良い空間というのにそれほど触れる機会が個人的には)少なかったんだろうなと思う。
難しいのは、インテリアデザイナーはいろいろマテリアルを知らないといけない。
一つ一つ感覚に合うものを選んでそれをストックしておく。必要に応じてそれを取り出して組み合わせる。
色・素材・形状・配置・空間。。
多分だけど感覚の世界はAIが関われる世界ではないと思う。
パターン出しをすることはできるけど、人間の感じる感覚は人間にしか分からないし、科学みたいにすべて分解できるかもしれないけど、人の嗜好は全時代共通するものとその時の流行りみたいな移ろうものの組み合わせなので、その変数まで式にいれるのは難しくない?と思う。なぜなら変数は多すぎて、世界のすべての情報をいれないといけないからだ。
つまり、その時代だからこそつくれる感覚というのがあって、その感覚は小手先で変わるものでもないが、完全に全時代普遍的なものでもないというか、でもなんだか普遍的なものである気がして、人は間違ったり正しかったりを行き来しながら根本のところは変わらずカタチだけちょっとずつ変えてるだけなのかもしれないなと思う。感覚の世界に関しては。
感覚というのは個人の中で正解があり、その正解は存在して頭打ちな気がする。
科学は実際に現実を変える力があるので、どんどん進歩していく。まあなんのために進歩させるんだというのがあるけど。
いろいろ解明することでこれまで不可能だったことを可能にしたいというのはシンプルに人間の欲望なんだなと思う。