何かを好きになるというのはそれ以外を嫌いになるということである。
好きなものは好きで、それ以外を無関心でいることは器用かもしくは不真面目な人間ができることだと思う。
なぜなら自分の感覚に照らし合わせた時にどうしても反発が生まれるからである。
その反発についてはあまり考えずやりすごす、意図的に無視できたら理想だが、
真面目な人は実は嫌いなものにも考慮すべき点があるかもしれないと考える。
ただ考えても嫌いだったり、そもそも考えるという行為に負荷がかかる。なので嫌いなものをますます嫌いになる。
嫌いなものについては考えないと可能性を切り捨てて無関心に努めることはその一歩先である。
例えば嫌いな人だったら避ければ良いかもしれない。ただ嫌いな料理だったら?嫌いな空間だったら?
避けることもできずただ向こうからやってくる感覚をひたすら我慢しなければならない。
何かを好きになると生きづらい。
なぜなら嫌いなものが増えるからだ。
何も好きにならないというのは無関心である。無関心は嫌いともあまり思わない。
無関心とは生きやすい生き方だと思う。
一方で自分の好きという感覚にマッチした時の気持ち良さ、みたいなのは感じないんだろう。
好きとは劇薬で毒でもある。
批判は良いが批判家を好きではない。批判を外に出すことになんのメリットもないからだ。少なくとも自分以外。
そして嫌いをつきつめることは何も生まない。嫌いなものをどう改善する?とかそういう話なら生産性があるが。
批判家というのは大概自分の感覚に照らし合わせて何かを批判して酔ってる人のことである。自己陶酔。
できれば私は人間に無関心でいたかったと夫を見てて思う。
良く言えば共感性が高く、悪く言えばダメージを受けやすい。
相手の気持ちがよくわかる(夫に比べると)ので疲れる。
相手の気持ちがわかっても、そこに距離を置けると良いのだが割とひっぱられてしまう。
ひっぱられずにマイペースにいることが正解である。そこには強い意志がいるけど。